最新更新日:2024/09/20 | |
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江南市縁の七人の戦国武将 −9−今日まで開催中のこうなん藤まつり会場では、毎年恒例の江南市縁の七人の戦国武将展が開かれています。 これまでに、その七人の武将を順に紹介してきました。 10連休の最後は、その関連として織田 有楽斎を紹介します。 記載事項には諸説あるものも含まれていますのでご了承ください。 犬山ホテルの敷地内にある茶室「如庵」。 現在、国宝に指定されています。 その如庵を建てたのが、織田 有楽斎、織田 長益です。 東京の「有楽町」の名の起源である織田 有楽斎。(異説あり) 織田信長の実の末弟で、甥の信雄も慕っていました。 信雄の兄、信忠に、二条城で自害をすすめた人物といわれています。 自らは、二条城を脱出しました。異説もありますが・・・。 小牧・長久手の戦いでは、秀吉と家康の仲介役も務めています。 信長の実弟だからこそできることです。 関ヶ原の戦いでは東軍に属し、西軍の有力武将・蒲生真令を倒す活躍を見せますが、悲しいかな、淀君は姪っ子。豊臣にも力を貸します。 大阪の陣では豊臣に付いていましたが、最後は離れます。 今回のテーマである、豊臣と徳川の間に揺れた一人といえるでしょう。 その結果、子孫は続きました。 「勝(か)ち馬(うま)に乗る」といいますが、一般的に戦国武将が有利な方につくのは、生き残る術です。 しかし、織田 有楽斎は、2人の姪(豊臣に嫁いだ茶々、徳川に嫁いだ江)のために、豊臣と徳川をつなごうと願っていたのでしょう。 |
江南市立草井小学校
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