最新更新日:2024/09/20 | |
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なかよし集会(4月25日)
新1年生を迎えてはじめての「なかよし集会」です。あいにくの天気で運動場が使えなかったので、各教室等でトランプや室内ゲームをして交流を深めました。どの班も、高学年が低学年にわかりやすく仲良く接していました。
【1年生】在校生のお兄さんお姉さんが歓迎をしてくれました1年生を迎える会御囲い堤 -3-柳津のカラフルタウンの西に境川が流れていますが、それがかつての尾張と美濃の境だったのです。 尾張と三河の間にも境川があります。その他、全国各地に境川という川や、境川という地名が残っています。 水問題研究所「木曽川物語」http://suimonken.server-shared.com/ksgwmngtr/ki...には、次のように書かれています。 貞観年間(860年代)繰り返し起こった洪水により河道が変わり笠松を通過する線まで南下して長良川へ流れるようになりました。このため、尾張の国の葉栗郡60ヶ村、中島郡29ヶ村が美濃側にいきました。 上の図をご覧ください。 貞観年間の洪水で、川島を挟む現在の木曽川の流域が現れました。(灰色部分) まさに、現在、江南市の北に流れている木曽川です。 この後が面白い! 尾張側は暴れ者の木曽川が尾張の国に居座られては困ったものだと、貞観7年(865年)河道を元に戻すよう工事を京に陳情しましたが、なんともなりませんでした。そして、翌年河道を元に戻そうとする尾張側とそうはさせまいとする美濃側との間で、「広野川の争い」と呼ばれる武力衝突が勃発しました。 何と、洪水の恐れがある本流を互いに押し付け合い、武力闘争にまで発展したのです。 それほど、生きるか死ぬかの話だったのです。 この広野川の争いについては、『くさの井史』P.41に詳しく書かれています。尾張側に、多くの犠牲者が出ています。 天正14年(1586年)の洪水では、笠松から南に流れる川ができて、ほぼ現在の木曽川の川筋になりました。 3年後に新しい木曽川を尾張国と美濃国の境とし、美濃国側を葉栗郡から羽栗郡へと改めました。 ここまで見てきたように、濃尾平野でくらす人は、川の氾濫のためにたいへんな目にあってきました。 「丈夫な堤防をつくってほしい!」というのは、この地域の人の永年の悲願であったのです。 それが、秀吉による文禄の治水、そして家康による御囲い堤となるのです。 続きます。 4年生 ソーラン練習
運動会に向けてソーラン節の練習が始まりました。今日は、腰を落として低い姿勢を保つ「股割り」を練習しました。最初は、難しそうでしたが、何度も練習をし、だいぶ上手になりました。
4年生 ペア名刺交換
今日は、朝の時間にペア名刺交換がありました。2年生のペアの子に名刺を渡し、色々お話をしていました。お兄さんお姉さんとして、2年生に優しく接している姿が見られました。
運動会準備今日は、みんなで力を合わせてそのための準備をしました。 サッカーゴールを移動し、並ぶ場所やリレーゾーン、スタート位置などが分かるように目印をつけました。 これからの練習で使用していきます。 江南市縁の七人の戦国武将曼陀羅寺の藤が、かなり咲きそろってきました。(写真は今朝の様子です) 今年は、10連休が藤の見頃と重なりそうです。 次のサイトでは、藤まつり期間中、毎朝の藤の様子を見ることができます。 https://blog.goo.ne.jp/syaraku0812 さて、会場では、毎年恒例の江南市縁の七人の戦国武将展が開かれています。 その七人の武将とは? 1 浅野長政 2 蜂須賀家政 3 前野将右衛門長康 4 生駒利豊 5 生駒親正(ちかまさ) 6 織田信忠 7 織田信雄(のぶかつ) のことです。 これらの戦国武将について、次の10連休中に順に解説していきます。 江南市の歴史に興味を持っていただけたら幸いです。 今日の給食おかわりをする子がたくさんいました。 もりもり食べる元気な草の井っ子たちです。 【今日の献立】 わかめごはん ぎゅうにゅう めばるのしおやき たけのこのとさに あさりのみそしる 土佐煮はかつお節を入れた煮物です。 土佐は高知県の旧国名で、高知県では、かつおがよくとれ、かつお節がたくさん作られることから、この名前が付いています。 御囲い堤 -2-それ以前の、天正14年(1586年)以前の木曽川の様子が残されています。 それをわかりやすくしたのが上の図です。(出典は 水問題研究所「木曽川物語」 http://suimonken.server-shared.com/ksgwmngtr/kiso02.html) これらの川は、現在も川・用水、あるいは川筋跡として残っています。 川筋跡は、ランニングをしていると、微妙な上り下りがよく分かります。 それでは、それ以前の木曽川はどんな川だったのでしょうか? 下の木曽川の河道変遷図をご覧ください。 (出典は、水問題研究所 http://suimonken.server-shared.com/ksgwmngtr/kiso01.html) 大昔、今の濃尾平野は、川の氾濫を繰り返していました。 上流に雨が降ると、土石流がながれ氾濫して堆積していきました。 そうして、平野がつくられていったのです。 どこを掘っても丸い石が出るのはそのためです。 3000年位前になると、人々は集落をつくり、魚や貝を採って生活し始めました。 集落跡や縄文土器、魚を採った痕跡がいろいろなところで見つかっています。 九州に米作りが伝わると、この地域にも伝わってきました。 しかし、大規模な水田跡は見つかっていません。 おそらく、川が氾濫を繰り返したために、定住するには適さなかったかもしれません。 しかし青銅器や鉄器などの道具の進歩などで米の収穫量が増え、集落が大きくなり、尾張氏、葉栗氏、丹羽氏などの豪族も出てきました。 尾張の稲沢市付近に国府がおかれた頃の木曽川の様子を、上記「木曽川物語」は次のようにまとめています。 木曽川は、8世紀ごろは鵜沼川と呼ばれ、9世紀ごろは広野川と呼ばれており、前渡のあたりから北西に、現在の木曽川より北を現在の境川の川筋で流れて長良川へ合流しておりました。(下図参照)そして、それより下流は美濃川または尾張川と呼ばれていました。 現在の境川がこの痕跡であり、美濃と尾張の国境になっていて、尾張の国はもっと北西に広がっていたのです。 長くなりそうなので、いったん切ります。続きます。 PTA総会(4月22日)
授業参観の後、PTA総会が行われました。平成30年度の事業報告、会計報告平成31年度の事業計画案、予算案、そして新旧役員の方々のあいさつや新の常任委員・地区委員の皆さんの紹介がありました。
30年度の皆さんどうもありがとうございました。そして、31年度の皆さん1年間よろしくお願いします。 初めての授業参観(4月22日)
新しいクラスになって初めての授業参観です。緊張している子もいましたが、みんな元気に授業に臨んでいましたね。
朝礼(4月22日)
今日の朝礼は、はじめにスポーツ少年団の表彰を行いました。おめでとうございます。
表彰の後は、「四つのあ」についてのお話をしました。今年は「四つのあ」を考えながら行動していきましょうというお話です。 四つのあ とは 1つめは「あいさつをしっかりしましょう」 2つめは「朝ご飯をしっかり食べましょう」 3つめは「安全に気をつけましょう」 4つめは「遊びましょう」 です。しっかりと守って楽しく生活しましょう。 その後、生徒指導の先生から「木曽川で遊ぶのはやめましょう」と「遊具は安全に使いましょう」という内容でお話がありました。 来週の主な予定4月22日(月) 朝礼 授業参観(12:45〜) PTA総会(13:40〜) 学年懇談会(14:50〜) 23日(火) なかよしペア名刺交換 24日(水) 1年生を迎える会 25日(木) 家庭訪問(草・慈・村の希望者) 26日(金) 家庭訪問(小・小・鹿の希望者) 6年生 春の遠足その3保護者の皆様、朝からお弁当の準備、ありがとうございました。 6年生 春の遠足その26年生 春の遠足その1今日はお弁当の日3年生の教室にお邪魔しました。 自分で作ったキャラ弁もあり、感心しました。 生活科1年生
3時間目に1年3組が生活科の授業で春の植物の観察を行いました。花壇に咲いているチューリップやパンジーを観察してプリントにまとめました。
遠足出発6年生
6年生が、遠足に出発しました。岐阜県瑞浪市のサイエンスワールドで化石のレプリカづくりやサイエンスショーの見学をしてきます。友達と楽しく学習して、いい思い出を作りましょう。
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江南市立草井小学校
〒483-8409 愛知県江南市小杁町長者毛西1 TEL:0587-57-8333 FAX:0587-57-6922 |