最新更新日:2024/05/23 | |
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2016.6.12 古北のプールの歴史 その1大きな特徴では、以下のことがあげられるでしょう。 ・「ひまわり」「家庭科室」「図工室」の教室がある校舎がない。 ・プールの北側に体育館がない。 ・古北山がない。 ・現在、ブランコや藤棚があるところに、プールらしきものがある。 といったところでしょうか。その他にもいくつかありますが、ちょうど10日(金)に、今年度のプール開きもあったところです。ここでは、写真の一番下にある、現在のブランコや藤棚に当たる場所の「プールらしきもの」について、その歴史を数回に分けて、お伝えしていきましょう。おじいさん、おばあさんはもちろんですが、お父さん、お母さんの中には、記憶にある方もみえるかもしれませんね。 (※文章は、昭和55年度古知野北小学校PTAが作成・発行した「古北のあゆみ」をもとに、校長が編集したものを掲載しています) 昭和15年以前は、名古屋市より北の小学校には、プールがない時代で、多くの学校が、近くを流れる小川などを使って水泳の授業をしていたのだそうです。 しかし、決してきれいではない小川で泳ぐことを嫌がる児童も少なくなかったそうです。 特に、南北に長い校区を持つ本校は、般若地区の児童は木曽川で遊ぶことが多かったため、南の方の地区の児童とは、泳力に差があったと言います。 そんな中、当時の先生(奥村久男先生・S32〜35に校長先生を務める)が「プールの必要性」を各方面に説いて回ったところ、勝佐の津田覚重氏が、寄付を申し出られ、建設が始まりました。 しかし、材料等で資金を使用すると、作業をする人夫賃はなくなってしまったため、先生や児童で作業を行うことにしました。 まず、基礎となる「グリ石」(底に並べる石)を下般若の石原寿郎氏の山からいただくことになったのですが、戦時中の当時は、リヤカーなどもないため、まさに人海戦術で運んだのだそうです。30cm前後の石は、決して軽くなく、ケガなども多かったそうです。そんな石を一週間かけて、運搬したのでした。 そして、いよいよ基礎作りが始まります…。 (※続きは、修学旅行後にお伝えします) |
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