最新更新日:2024/04/26
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「 ようこそ! 藤里小学校ホームページへ 」  児童の活動やお知らせを豊富な写真で紹介しています。 ぜひ、ご覧ください。   

ふじさとの歩みシリーズ50〜昭和51年度(1976)学習発表会〜

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 当時の学習発表会は、奇数学年(1・3・5年)は学芸会(舞台発表)、偶数学年(2・4・6年)は展覧会(作品発表)の形で行われました。昭和50年代は、学校の数に対して、子どもの数が多く、1000人以上の児童数を数える学校もたくさんありました。そのような学校では、このように学習発表会を分けて行っていました。
 今回は展覧会の様子です。半分の学年とはいえ、約800人の作品が並ぶと、展覧会にふさわしい見応えがあります。教室での作品配置も重要でした。

<昭和51年度の児童数>
1年…9学級367人 2年…8学級326人
3年…7学級273人 4年…5学級183人
5年…4学級155人 6年…4学級175人
全校合計…37学級1479人 (5月1日現在)

<昭和51年度の主な学校行事>
4月…入学式、始業式、遠足
   開校記念式(小運動会は廃止)
   授業参観、PTA総会、学級懇談会
5月…修学旅行(伊勢方面)
6月…プール開き
9月…運動会 増築工事起工式(南館西)
10月…遠足(岐阜公園、今渡ダム、関ヶ原など)
   児童会ドッヂボール大会
1月…学習発表会
    (1・3・5年学芸会・2・4・6年展覧会)
3月…卒業生を送る会、卒業式、修了式
   国旗掲揚塔完成(卒業記念品)
   初代佐々郁雄校長退任

ふじっ子振り返りシリーズ182〜4月7日着任式・始業式・学級開き〜

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 雨が降る中の登校となりました。体育館への入場は、昨年度から引き続き、静かに整然と行うことができました。
 担任発表があり、新しい教室へ。教科書配付や諸連絡など初日に行うべきことがたくさんありましたが、担任から「○○な学級にしたい」思いを児童にさまざまな形で伝えました。明日は、新学級で2日目の生活となります。係や当番活動などを決めていくと思いますので、自分が活躍できる場面や学級のために自分ができることを考えておきましょう。

おじいさんになった浦島太郎のその後?

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 助けた亀に連れられて竜宮城に向かった浦島太郎。国に帰って玉手箱を開けたところ、たちまち白髪の老人とかしてしまったのは、ご存じの通りだが、その後の浦島太郎はどうなったか?
 浦島太郎の物語がおさめられている『御伽草子』(おとぎぞうし)には、浦島太郎さんのその後が、ちゃんと記せられている。
 白髪となった浦島は、その後、鶴に変身し、中国の『蓬莱山』(ほうらいさん)に飛んでいった。そこでしばらく楽しく過ごした後は、再び日本へ。丹後国[現在の京都北部]で亀とともに夫婦の神様となり、すべての生き物を救うことになったという。
 浦島太郎の動物愛護精神は、永遠に不滅だったのである。

今日は何の日

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花言葉と励ましの言葉

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 あなたにとって素敵な一日になりますように。

来週の週目標

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いろいろな種類の花が

 学年花壇、プランターを中心に、いろいろな花がきれいに咲いています。
 チューリップ・ビオラ・パンジー・水仙・ノースポールなど。
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桜の花、満開!

 校庭の桜が一番の見頃を迎えています。とてもきれいです。来週みんなで写真を撮れるといいですね。

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今日のスポ少

 6名での練習が始まっていました。がんばってくださいね。
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ふじさとの歩みシリーズ49〜入学式のあゆみ〜

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 本年度は4月6日に入学式を迎えました。過去の入学式を見てみると、昭和40〜50年代は、4月3日あたりに入学式を行うことが多かったようです。
 上段の写真は、開校1年目(昭和44年度)の入学式です。外で行われていました。体育館がまだ建設されていなかったからです。翌年と合わせて2回校庭で行われました。
 中段の写真は、開校10年目(昭和53年度)の入学式です。この年が藤里小学校史上最高の入学生450名を迎えました。ただし、このときの6年生は157名ですから、迎える側の方が少ないという状態でした。写真を見ても、児童の多さが分かります。
 下段の写真が、開校49年目(平成29年度)の入学式です。新入生の期待と不安が入り交じった表情は、いつの時代も変わりませんね。

ふじっ子振り返りシリーズ181〜4月6日入学式〜

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 43名の新入生を迎え、入学式が行われました。1年生は、たくさんの方に見守られる中、新しい生活に期待を膨らませているようでした。来週からは月〜金まで学校生活が続きます。少しずつ学校のことを知ってくださいね。

なぜ、花見にお酒はつきものか?

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 「花より団子」というより、実際は、「花よりお酒」が本当のところ!
 最近では、カラオケなども花見の席に登場し、桜の花は、飲むための大義名分にすぎなくなっているが、その昔、花見でお酒を飲むことにはもっと神聖な意味があった。
 古来、日本人にとっての桜は、大自然の生命が形になったものだった。
 平安時代中期、九分咲きの八重桜のつぼみを塩と梅酢で漬けたものを食べる習慣があったが、これは、自然の精気を体内に採り入れようとすることが目的だったとされる。
 花見で、お酒を飲むのもこれと同じ意味。つまり、花弁わ杯に浮かべて一気に飲み干し、自然と一体になろうというこころみなのである。
 それがいつしか、日頃のストレスの発散場所になったのは、日本人に自然を畏敬する気持ちがなくなったから?


今日は何の日

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花言葉と励ましの言葉

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 あなたにとって素敵な一日になりますように。

学級活動の様子です。

 みんなやや緊張気味。早くなれるといいですね。
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学級での様子です。

 人の話をしっかり聞いたり、一生懸命に取り組んだり、しっかりあいさつをしたり、昨日お願いしたことができていました。


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通学班での初めての登校

 あいにくの雨でしたが、時間までにみんな仲良く登校することができました。
 1年生は、用具の片付けを一生懸命行っていました。
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今日の詩

 今日の支度は、だいじょうぶですか?
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「いただきます」は、誰に向かって言う言葉?

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 「いただきます」は本来、両親など特定の人間に向かって言う言葉ではない。もともとは、神への感謝を表す言葉だったのである。
 その昔、台所には荒神様という火之神がまつられていた。この神様のおかげで、安全に火を使い、食事ができると信じられていたのである。
 食事作法が厳しかったのも、妊婦が台所へ入ることをけがれるからと嫌ったのも、この荒神様をうやまう心からだった。
 だから、台所で作った食事を食べるとき、荒神様への感謝を込めて、「いただきます」と言うようになったのだ。もちろん、食後に「ごちそうさま」と言うのも、荒神様に向かって言う言葉である。

今日は何の日

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