最新更新日:2024/09/24 | |
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開会式が始まりましたがんはります!練習の成果を出してください。 器楽クラブ交流会 間もなく【校長日記】 社会科の授業−2−(7)見える化 製鉄所のポイントの一つが広いということです。 中部地方唯一の製鉄所である、東海市の新日鉄住金名古屋製鉄所の面積は約631万平米。 数字でいってもわかりませんね。 そこで、実際に布袋小学校と同縮尺の写真とで比べてみました。 実際に計算すると、300.・・・倍。 切りがいい数字です。300倍なのです。 ちなみに、既習事項のトヨタ自動車 高岡工場は64倍、元町工場 は79倍、田原工場は200倍でした。 (8)指で示す 私は、全員に取り組ませたことについて、手を挙げた子1人に答えさせることはあまりしません。 まず、全員に意思表示をさせます。 今回のベン図では、自動車工場のみに1本指、製鉄所に2本指、両方に5本指、どちらでもないにグーの絵を貼りました。 「ア 工場は海に面しているはどうですか。せーの、はい!」で一斉に顔の前で示すのです。 私は、何を出したかではなく、出しているかどうかを確認します。 全員参加していることが、まずは大切なのです。その後に、傾向をつかみます。 そこから、意図的に指名することもあります。 ※ 写真中は5年3組の写真です。 (9)ゆさぶり発問をする はじめの課題だけで終わったらつまりません。 そこから、さらに「あれ?なぜ?」という課題を引き出します。 今回は、鉄鋼輸出世界一の中国が、日本から多くの鉄鋼を輸入している事実に気付かせました。 「世界に輸出するぐらいなら、日本から買う必要がない」 そう思うのは自然ですね。 ここで考える時間を取りたかったのですが、1人がつぶやき、みんなに聞こえてしまいました。 「日本製は品質がいいから」 そうなのです。 中国は、質の低い鉄鋼を新興国に輸出し、自国で生産できないような質の高い鉄鋼製品を日本から輸入しているのです。 (10)「書けた人は、起立してつぶやき読みで読みます。読み終わったら座りましょう」 つぶやき読みとは、小さい声で読むことです。 大きな声で読むと、まだ書いている子の邪魔になります。黙読だと、読んだかどうかわかりません。読み終わったら座るから、進度がわかります。次の指示が出せるのです。 (11)2番目も誉める 読み終えてキーワードに線を引いている子がいました。すかさず、大げさに誉めます。「○○さん、キーワードに線を引いている。すごいね。」 ここでやめないことです。 その言葉で動いた子が大切なのです。 「○○君、今の言葉ですぐやり出したね。偉い!自分で自分を伸ばそうとしているよ。」 これで、この日もみんな始めました。 良いことは、どんどんまねをすればよいのです。 (12)今日わかったことを書く 最後には、ふり返りを書かせます。感想ではなく、自分でわかったことを書きます。 その際、使う言葉を指定すると、全員が最低限のことを書くことができます。 今回は、「製鉄、日本、技術、国民の生活」を使うことと指定しました。これだけで、今回押さえたかった「日本の製鉄所は、高い技術で国民の生活を支えている」と自分で書くことができます。 もちろん、もっとたくさん書く子もいます。そういった子をどんどん誉めていきます。 まだまだ細かいテクニックはあります。 授業技術とは、細かなテクニックの集積なのです。 【校長日記】 通学班会議まずは、一般論から。 私の子どもの頃も、下校はばらばらでしたが、登校は集団でした。 校区を選択できる地区、主に都会では個人登校が多いようですが、登校方法による統計は見当たらず、全国的な数値は不明です。 旧来は、主に交通安全上の配慮から導入されてきましたが、近年では児童を狙った犯罪から児童を保護する目的で導入する学校が増えていると思われます。 集団登校の列に車が突っ込む事故が起こると、「集団だからけが人が増える」という人がいますが、それはナンセンスです。 確率論からいけば、個人登校の方が確実の事故の件数は増えます。結果的に、けが人が出る確率は同じになります。 いわゆる、防犯の観点からは、一人より複数の方が安全であることは間違いありません。 丹葉地区では、本校のように、通学路にPTAや地域のボランティアの方が立っていただけるところが多く、交通安全上にも、防犯上にもたいへん助かっています。 通学班登校のメリットは他にもあります。 ・近隣の学年が違う児童とも人間関係ができる:学校は小さな社会。かつて、地域で群れを作って遊んでいた姿は見られなくなりました。通学班は、貴重な異学年交流の場です。 ・通学中の事故やケガ等に対処しやすい:近くに誰かがいれば助けを呼ぶこともしやすくなります。 ・リーダーに責任感が育つ。 ・個人登校でありがちな、仲間外れ等のトラブルがおきにくい。 ただ、人間関係ができるからこそ、トラブルも起きやすいことも事実です。 そこは、子どもなりの小さな社会。 解決のために支援しつつ、問題解決能力の育成につなげてやりたいものです。 通学班会議は、日頃の問題を明らかにし、解決につなげる場でもあります。 この45分間が、有意義な時間になることを願っています。 【校長日記】 社会科の授業 −1−自動車工場のあとの製鉄所の授業です。 全員参加と集中化のためにとった方法をいくつか紹介します。 (1)フラッシュ法 「何を作っているでしょうか?」と言って、写真を一瞬だけ見せました。 これだけで、児童は集中します。 「もう一度見せます。」 全員が、見逃すまいと集中して見ます。 集中化の技です。 3回目からはじっくりと見せればよいのです。 (2)全員起立、わかった人からすわります わかった人からすわっていくので、立っている子にヒントを与えていきます。 今回は、初めてのことなので、知らなくても当然です。ある程度考えさせてもわからなければ座らせます。 正直な子は大切にしてあげます。 (3)ワークシート ノートのサイズに合わせた大きさで、「1行目は学習課題を書くので、2行目にのりで貼ってください」 貼る場所まで指示します。誰でもわかる、ユニバーサルデザインを意識した方法です。 (4)笑顔で「どうぞ」、「ありがとう」 学級を明るくするための習慣です。あえて大げさにやります。 こんな小さなことが、大きくなっていくのです。 (5)シンキングツール 自動車工場と製鉄所を類別するためのツールです。 記号で書き込むだけなので、基本的に誰でも参加できます。 「製鉄所の特徴を書きましょう」では、時間がかかり、しかも、書けない子も出てきます。 全員を参加させると共に、具体的に「類別」という思考方法を体験させるツールです。 (6)資料に指を置く 「教科書からこの資料を見つけてください」という方法もあります。 しかし、私は、「教科書のこの資料の上に右手人さし指を置いて」と指示しました。 全員が見つけたかどうかを、自分の目で確認するためです。わずか数秒のことですが、確認したかどうかが大切なのです。 続きます。 【校長日記】 今日の朝礼まずは、先週行った人権講演会の杉浦 誠司さんのお話を振り返りました。 いじめを受けたつらさから、いじめは絶対にいけないということ、そして、夢をもつことの大切さを教えていただきました。 「夢」について、印象深い話があります。 次の写真を見せました。 「イチローだ!」という声が聞こえました。 「愛知県出身の偉大な野球選手です。」と説明しましたが、1年生の半数以上は知らないようでした。 イチロー選手は、卒業文集を書いています。その一部を紹介しました。 「 ぼくの夢は、一流のプロ野球選手になることです。 そのためには中学・高校で全国大会へ出て、活躍しなければなりません。 活躍をするには、練習が必要です。ぼくは三歳のときから練習をはじめています。」 「3年生のときから今までは、365日中、360日は激しい練習をやっています。 だから、1週間で友だちと遊べる時間は、5〜6時間です。そんなに練習しているんだから、必ずプロ野球選手になれると思います。」 イチロー選手は、小学校の頃から、強い確かな夢をもっていました。 そして、ただもっているだけでなく、その夢に向かって努力をしていました。 そして、こう言っています。 「夢や目標を達成するには一つしか方法がない。 小さなことを積み重ねること」 イチロー選手でした。 生き方の一つのモデルとしてもらえたら幸いです。 【校長日記】 人権カルタクイズの正解は・・・しかし、これは、あくまでこの作者の見解なので、他の解答もいろいろと考えられます。 クイズは、子どもたちを夢中にさせ、考えさせる力があります。 疑問が出れば、考えたくなるのは大人も子どもも同じです。 ご家庭でも、親子で一緒に考えて話し合う時間が持てるといいですね。 そして、人権についても、ぜひいっしょに話し合ってみてください。 【校長日記】 今日の朝礼朝礼では、税の作文の表彰、スポーツ少年団の大会の結果紹介に続いて、人権講話ということで、人権カルタクイズを行いました。(写真上) 写真中を見て、みなさんも考えてみてください。 体育館では、それぞれが、周囲のこと話し合う姿が見られました。(写真下) 正解は、後ほど紹介します。 【校長日記】 準備の大切さハーフマラソンは9時10分のスタートで、賢島行き近鉄特急の名古屋駅始発、6時50分に乗車します。 朝、6時前に家を出るために、昨晩に準備を終えていました。 今朝のことです。 「ゼッケンがない!!」 伊勢マラソンのだと思いこんでいた封筒は、来週伊勢に訪問する関係のものだったのです。 「ない!」 あわてましたが、探す時間もありません。 準備の不備を痛感しました。 そのまま家を出ました。 そして、近鉄に乗り換えて、五十鈴川駅に到着。 何と、8時18分でシャトルバスを待つ長蛇の列。 説明では、道路が渋滞でバスが戻って来られないそうです。 スタートは9時10分。 何とかバスに乗れたものの、やはり会場近くで渋滞。一度は諦めかけました。 おまけに、ゼッケンの再発行をお願いしないと行けない立場です。 到着したのは8時50分頃。 すぐに再発行の手続きをしながら、その場で服を脱ぎました。ウェアを中に着ていたので、すぐに着替えが済んだのです。 準備の大切さを痛感しました。 そのまま荷物を預け、スタート地点に着いたのは9時7分。 準備運動ゼロ、栄養ゼリーの摂取やトイレに行く暇もなく、いきなりのスタートでした。 それでも、出場できた喜びでいっぱいでした。 結果は、ブログ あなたも社楽人 にて 布袋中学校合唱コンクールを聴いて−3−布袋中学校の他の素晴らしいことを書き忘れていました。 【その1】スピーチが素晴らしい どのクラスも、原稿を見ないで堂々とアピールしていました。 見事でしたね。 【その2】生徒による整然とした運営 先生の指示でなく、すべて生徒だけで運営されていました。 移動も見事で、整然としていました。 【その3】聴く態度が立派 一度たりとも、話し声が聞こえたり、ざわついたりすることがありませんでした。 学校全体が落ち着き、大人の態度でした。 これらも含めて、素晴らしい合唱コンクールでした。 【校長日記】 布袋保育園発表会昨日の保育参観に続き、今日は祖父母交流会が行われたからです。 4歳児のたんぽぽ組は、劇遊び金のがちょうを演じました、繰り返しのおもしろさで、多くの笑いがごぼれました。 5歳児のすみれ組は、劇遊びおむすびころりんを演じました。 28人、それぞれにセリフがあり、驚いたのは、舞台転換を、全て子どもたちだけで、しかも素早く行ったことです。(写真上) 年長にもなると、自分のことは自分ですることが定着していると感じました。 小学校では、手をかけすぎてはいけないと自戒しました。 最後には、3歳児以上全員で、「赤鼻のトナカイ」「やきいもグーチーパー」を歌いました。(写真下) 特に、「やきいもグーチーパー」では、祖父母を巻き込み、会場全員で盛り上がりました。こうした観客参加型もおもしろいと思いました。 真野園長先生のあいさつでは、保小連携について紹介がありました。 小1ギャップなどといわれていますが、保育園と連携を密にし、子どもたちにとって、スムーズな接続ができるように努めていきます。 【校長日記】 今朝のマラソンパトロール曽本の通学路はご覧の通り。いつものことですが、特に雨降りの日はたいへんです。 百葉箱の前の横断も、この写真には車が写っていませんが、その20秒前は東西とも車の渋滞でした。 柳街道の横断も同様です。 この写真ではわかりませんが、南向きは車でいっぱいです。 このほか、校区内には危険箇所がいくつもあります。 十分に気をつけて横断しましょう! 【校長日記】 江南・熊野社の秘密は?中奈良にある熊野社(写真上)には、大きな特徴が残っているのです。 それは、周囲に鈴木姓が集中しているということです。(写真下) 県内のいくつかの熊野社・熊野神社を調べたのですが、このような特徴は残ってはいませんでした。 全てを調べていけば、他にもきっとあると思いますが、中奈良地区は、本来の熊野社と鈴木姓との関係を色濃く残している地域なのです。 これは由緒がある地区ということです。 実は、埼玉県熊谷市にも中奈良という地名があります。 何と、そこにも熊野社(奈良神社)があります。 奈良時代に奈良別命が当地を開拓して建立したといい、中奈良という地名と熊野社の関係は、江南市と共通点が見つかるかもしれません。 どなたか、ご存じの方、教えてください。 【校長日記】今朝の朝礼ライオンズクラブ平和ポスターコンクール、読書感想文コンクールの表彰伝達を行いました。 その後、絵を見てもらいました。 花を中心とした、明るく、やさしい色調の絵を見た後、その作者である南 正文(みなみ まさのり)さんを紹介しました。 「ごらんのように、南さんには両腕がありません。口で描いたのです。」というと、子どもたちから「エッ!」という声があがりました。 (ほてっこは、朝礼でつぶやいてくれるので、とてもやりがいがあります。) 南さんは、1951年9月大阪府で生まれました。 小学校3年生の春休みに製材業を営む父を手伝い、機械のベルトに巻き込まれて両腕を失いました。 2年遅れて養護学校へ4年生から入学し、そこで口で本をめくり、足指でノートをとることなどを学びます。そこでの級友の姿に、励まされたと言ってみえました。 14歳の時、口筆画家大石順教尼に師事、口での描画と生き方の修行を始めます。ここでの学びが、南さんの人生を創っていきます。 師事後1年で口筆画“若武者”が堺市展に初入選。その後も公募展で入選、受賞を繰り返していき、日本画家としての名声を高めていきます。 また、ダイビングなどいろいろなことにも挑戦し、海外や国内で講演活動、自費で国内の少年院を慰問、ネパールに学校を贈る活動にも参加していました。 見る人の心を打つ美しい日本画を制作し続け、2012年12月に亡くなりました。 最後に、南さんがよく言っていた、大石順教尼の教えを子どもたちに紹介しました。 「できないとしないは違うんだよ」 「禍福一如:心の持ち方ひとつで幸せになったり、不幸になったりするんだよ」 あきらめないでチャレンジする子、そして、ポジティブに考えられる子になってほしいという願いを込めて話を終えました。 終わった後、ある6年生の男子児童が、「校長先生、今日の朝礼の話、とても心に残りました。」とわざわざ教えに来てくれました。 とてもうれしい言葉です。 南 正文 さんについてはこのページをご覧ください。 http://minami-sakura.jp/ 今日まで、中日ビルにて、個展が開かれています。 【校長日記】 江南の熊野社の秘密は?近隣の熊野社・熊野神社を調べてみましたが、ほとんど見あたりません。 その特徴とは何でしょう? それは、鈴木姓 です。 鈴木という姓はいろいろな起源がありますが、最も有力なのは、紀伊国・熊野大社の神官としての系列です。 熊野社・熊野神社が、海を渡り、今の愛知や静岡、関東に上陸し、そこから東北、北陸に分布しました。 それが、上の図です。東日本に多いことが分かります。 熊野社・熊野神社が広がることにより、鈴木姓も広がっていったのです。 中の図は、全国の苗字ベスト10と、愛知県のベスト10です。 また、愛知率とは、その苗字の人が、愛知県に何パーセント住んでいるかということです。 愛知県の人口は、日本全国の5.5パーセントの人が住んでいるので、それより多いと愛知に多い苗字ということがわかります。 水野、加藤、伊藤は、特に愛知県に多いと言うことがわかります。 鈴木は、静岡や関東の都県と同様、第1位です。 下の図は、各都道府県で、「鈴木」姓が何番目に多いかを示したものです。 1位から10位を赤。11位から20位を水色で着色してみました。 いかがでしょう? 熊野社・熊野神社の分布と似ていませんか? 鈴木姓は、東日本に多いことが分かりますね。 それでは、江南・中奈良の熊野社の秘密とは? 次回にお知らせします! 【校長日記】 南 正文 個展に行ってきました30日まで開かれています。 南さんのプロフィルです。 1951年9月 大阪府堺市に生まれる 1951年 小学校3年生の春休みの最後の日、父が経営する木工所を手伝っていて、機械のベルトに巻き込まれて両腕をもぎとられる事故にあう。 1953年 事故のため2年遅れて、養護学校へ4年生から入学。 そこで口で本をめくり、足指でノートをとり、足と肩で箒を支えて掃除することなど、勉学と生活訓練に励む。 1965年 「日本のヘレン・ケラー」と呼ばれた大石順教尼の最後の弟子となり、口に筆をくわえ、日本画の勉強に取り組む。 1967年 堺市展に初出品し、入選。以後、毎年入選する。 1970年 堺市展で奨励賞を受賞。以降、数回受賞。 1975年 世界身体障害者芸術家協会(現在は、口と足で描く芸術家協会)会員になる。以降、各種の展覧会、グループ展に出品する。 1999年 財団法人ソロプチミスト日本財団より社会貢献賞を受賞。 その他、ネパールへ学校を贈る運動に尽力し、3校を設立。海外や国内での公園、刑務所や少年院を慰問するなどの活動もおこなっている。 その後も、いろいろな活動をされ、2012年12月に亡くなったプロの画家です。 私も何度もお会いしましたが、いつも明るく前向きで、尊敬していました。 絵や画像を見て、大きな勇気をもらいました。 ホームページ(写真下)もご覧ください。 http://minami-sakura.jp/ 南さんのドキュメンタリー映画「天から見れば」公式ページ http://tenkaramireba.com/ 【校長日記】 えほんのもりしばらくイタリアに住んでいましたが、日本に帰ってみえました。 日本福祉大学の講師時代には、私も2回ほど、学生さんに模擬授業を依頼されました。 その伊藤先生が運営しているのが「えほんのもり」。 もともと伊藤家は、私が知る限り、蔵書数の多さでは一番のお宅です。 その質も高く、丸山真男などの日本思想史系も数多くありました。 その中で、子ども向けの本を集めたのが、この「えほんのもり」です。 その数、1万5千冊。 (これは、伊藤家の本の中の一部です。) 絵本に興味のある方は、ぜひ訪問してみてください。 【校長日記】 今朝のマラソンパトロール走って、うっすらと汗をかくぐらいが一番よいのです。 今朝は熊野社へ行ってきました。 中奈良の熊野社は、近隣の熊野社・熊野神社と比べても、本来の熊野社がもつ特徴を色濃く残しています。 熊野大社ゆかりの特徴です。 それは何でしょうか? ぜひお考えください。 (熊野にお住まいの方はわかりますよね・・・) 正解は明日紹介します。 【校長日記】生駒利豊が東軍、平三郎が西軍になぜ分かれた?お題は、関ヶ原の戦いでは、生駒利豊が東軍、甥の平三郎が西軍に分かれてた戦いました。 なぜ、親族の中で敵・味方に分かれて分かれて戦ったのでしょうか? 関ヶ原の戦いは、まさに天下分け目の戦いでした。 情報戦では東軍有利、関ヶ原の布陣では西軍有利と今だから言えますが、当時の人にはどちらに付いてよいのかわかりません。 「勝ち馬に乗る」という諺があります。 「有利な方につく。勝った方に味方して便乗する。」と解説がありますが、当時はもっと切実です。 負けた側に付くと、お家は取りつぶされ、主だったものは女・子どもを含めて殺されるのです。 それでどうしたのか? 両方に付くのです。 同じく江南生まれの蜂須賀家政はどうしたのでしょうか? 彼は、家臣を大坂に派遣し、西軍に付いたふりをして、自らは剃髪して高野山に入ります。 そして、子の蜂須賀至鎮を東軍につかせます。 どちらが勝っても、蜂須賀家は残るようにしたのです。 讃岐生駒家の生駒親正はどうしたのでしょうか? 讃岐国という地理上、そして秀吉の大恩のために西軍に味方し、兵を派遣しますが、自らは病気を装い本戦には参加しません。 さらに子の生駒一正は東軍につかせます。 これも、どちらが勝っても生駒家は残るようにしたのです。 結果はもちろん東軍の勝利。 蜂須賀家も生駒家は安堵されます。 くり返しますが、関ヶ原の戦いは、文字通り、天下を分けた戦いだったのです。 写真は、家康が最初に陣を置いた桃配り山から見た、三成のいた笹尾山です。よく見えましたが、小早川秀秋のいる松尾山は、高木に遮られ視界に入りません。 桃配り山は、指揮のためのベストポジションとは言い難いかもしれません。 家康は、指揮よりも、自分も動ける場所を考えたのかもしれませんね。 |
江南市立布袋小学校
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