最新更新日:2024/09/26 | |
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続々 時代の先を読む力 −1−教師は、時代を読まないといけません。 時代の先を読む力を、先人から学ぶシリーズ。 今回は、徳川家康 愛知県の製造品出荷額は、36年連続全国第1位です。 これは、家康の政策と関係があるのです。 徳川家康は、関ヶ原の合戦の後、秀吉が領有していた木曽檜の山林を自分の土地(蔵入地)としました。 (木曽氏や山村氏などの話は複雑になるので略します) 木曽の山林がもつ価値を知っていた秀吉も家康もさすがです。 その家康は、尾張藩の初代藩主・徳川 義直に木曽を譲ります。 そして、森林保護を力を入れると共に、河川を改修して、木材を運びやすいように環境を整えました。 「ひのき一本首一つ」という言葉は、あまりにも有名ですね。 その周辺地域を含めた木材は、その後の大きな力になりました。 伝統工業である名古屋のタンスや仏壇もさることながら、前回紹介した、時計・航空機・車輌も、豊富な木材資源を生かしたものでした。 特に、愛知の時計はアジア(世界?)1位でした。 その理由は? 当時、木材の価格は、多くは運搬費用でした。切り出すのは簡単ですが、道路やトラックはない時代、運搬に多くの人手を要したのです。 しかし、木曽川(支流も含む)沿いの山林は、切り倒した後、川の流れを利用して下流に流し、途中で筏(いかだ)を組んで、熱田の白鳥まで運んだのです。 現在は休止している「ライン下り」の終点は、流れが緩やかになるところ、それが犬山・鵜沼地区なのです。 犬山・鵜沼には材木が集結し、ここで筏を組んだのです。 木曽節でうたわれる「木曽のナア〜アなかのりさ〜ん」の「中のりさん」は船頭さんのことです。 従って、運搬費が安く済み、低価格で作れたのです。 前回述べたように、からくり技術は世界トップクラス。 安いコストと高い技術 精密機械である時計生産がアジア1位になるのは必然だったのです。 愛知時計電機からは、愛知航空機株式会社が分離しています。 当時は、航空機や鉄道車輌にも、木材が多く使われていました。 あれ? 家康はあまり関係ない? いいえ、仕組み(システム)を考えたのは家康なのです。 実際に行動する人も大切ですが、仕組みを考える人はもっと大切なのです。 参考サイト 木曽川・飛騨川の筏(いかだ)流しと人々 http://book.geocities.jp/gifurekisi/rekisi/no24.htm 画像出典 職人が作る木の上ネット http://kino-ie.net/genba_201.html 3年生・理科〜しぜんのかんさつ〜理科の授業で、自然の観察をしました。大きさ、色、形に気を付けて、タンポポをスケッチしました。春を感じながら、観察を楽しんでいる様子が印象的でした。 4年生 田邊先生との算数の授業(4/10)2組の算数は,担任の上村先生と田邊先生がおこなっています。今日は今後の学習内容をみんなで確認していき,その後はP8,9の扇を作って角度の勉強をしました。4年生の算数はTTと言って,2人の先生で見ていき,きめ細かな指導をしていきたいと思います。 県議会選挙会場準備布袋小校下では、布袋小体育館のほか、4箇所の投票場があります。 スクールサポーターを紹介します!主として金曜日に、1年生を中心にサポートしていただきます。 よろしくお願いします! 今日の給食は・・・やまぶきあえは、ほうれん草に卵(たんぱく質)を入れと、ほうれん草に含まれる鉄分の吸収率が上がるそうです。貧血の予防に役立ちます。 吉野汁は、澄まし汁に葛粉(今は片栗粉)加えたもので、とろみがあります。 3年1組・2組のみんなも、おいしそうに食べていました。 親の監督責任は・・・・
新聞報道等でご存じだと思いますが、親の賠償責任が争われた民事訴訟で、最高裁が「親に賠償責任はない」とする判決を言い渡しました。
読売新聞から引用します。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−− 子供が起こした事故が原因で死亡したお年寄りの遺族が子供の両親に損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(山浦善樹裁判長)は9日、「通常は危険がない行為で偶然損害を生じさせた場合、原則として親の監督責任は問われない」との初判断を示した。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−− http://www.yomiuri.co.jp/national/20150409-OYT1T50063.html?from=ytop_top 亡くなった方やご家族には気の毒ですが、これは最高裁の判断通りだと私は思いました。 下部にある上の画像を見てください。(画像は本日の中日新聞から引用します) 通常のフリーキックの練習をしていたボールがフェンスを越えたものです。 悪意は全くありません。 また、ボールを避けようとして転倒したもので、死因である誤嚥性肺炎とは、直接の因果関係がありません。 私は、むしろ、二審である大阪高裁が、よくも約1,180万円の賠償を命じたものだと思いました。 しかし、これはあくまでも通常の場合です。 毎日新聞は社説で次のように書いています。 「個別の事案であり、判決を一般化するのは難しい。男児がふざけて外に球を蹴り出していれば、異なる結論になった可能性がある。」 やはり、学校関係者や保護者は、子どもたちにきちっと指導をしなくてはいけません。 さらに、「今回の事案は、校庭でのできごとだ。球が外に転がる危険性があれば、フェンスを高くするなどの対応が取れなかったのだろうか。」という、管理責任の問題も考えられます。 下の画像を見てください。 本日の中日新聞から引用します。 子どもの事故で、親の監督責任を認定した裁判例です。 4000万円、3000万円、9500万円支払っています。 特に、自転車での事故は十分起こりうることです。 指導と共に、備えが必要です。 お世話になっています!児童の安全のために、多くの方にお世話になっています。 6年生が1年生の手を引いて歩道橋を歩く姿もすてきです。 1年生 今日の勉強今日は天気も晴れていたので校庭を周り、遊具の使い方を学びました。約束を守り、楽しく遊ぶことができました。 健診(発育測定・視力)が始まりました!ナイス!! 給食が始まりました!とうふだんごは絶品でした! 授業中のひとコマ中:校内巡りをしています。 下:授業の始まりのあいさつをしています。 1年生にとっても、布袋小学校での学校生活が少しずつ始まってきました。 『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』この習慣は、今朝で連続1,871日目になります。 また、時間があるときには、各紙のコラムにも目を通します。 今朝は、すばらしいコラムを見つけました。 中日新聞の中日春秋です。 テーマは、ホセ・ムヒカ元大統領。 私がとても尊敬している人の1人です。 まずは、中日春秋をお読みください。 −−−−−−−以下引用します−−−−−−−− 先月一日まで南米ウルグアイの大統領の座にあったホセ・ムヒカさん(79)は昨年、アラブの富豪から驚くべき申し出を受けた。彼の愛車を百万ドルで譲ってくれと言うのだ ▼その車とは、一九八七年製のフォルクスワーゲン(VW)ビートル。そんな大衆車に億のカネを払おうというのは酔狂な話だが、それは随分と意味深な申し出だった ▼ムヒカさんは大統領になっても公邸には住まず、報酬のほとんどを福祉のために寄付し、郊外の質素な家で妻と二人暮らし。そういう清貧な生き方を象徴するのが、彼の愛車なのだ ▼二〇一二年にムヒカさんが国連の「持続可能な開発会議」で行った演説が、その人生哲学を如実に示している。「貧乏とは、少ししか持っていないことではなく、かぎりなく多くを必要とし、もっともっととほしがることである」 ▼そんないにしえの賢人の言葉を引きつつ、彼は訴えた。「水不足や環境の悪化が、いまある危機の原因ではないのです。ほんとうの原因は、わたしたちがめざしてきた幸せの中身にあるのです。見直さなくてはならないのは、わたしたち自身の生き方なのです」(『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』汐文社) ▼ムヒカさんは結局、「車を買う時に、お金を出し合ってくれた友人たちを裏切りたくないから」と愛車を売らなかった。生きている限り、傍らに置いておくそうだ。 −−−−−−−−−引用終わり−−−−−−−−−− 世界で一番貧乏な大統領、ホセ・ムヒカ元大統領は、リオの国際会議で有名な演説を残しています。 そのスピーチは絵本『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』(汐文社)にもなり、その生涯は、映画化されようと撮影が進行しています。 そのスピーチの日本語訳は、ここで紹介されています。 リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ:ムヒカ大統領のスピーチ (日本語版) http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/ 文部科学省は、持続可能な開発のための教育(ESD:Education for Sustainable Development)を推奨しています。 ホセ・ムヒカ元大統領のスピーチは、ESDに大きなヒントを与えてくれます。 写真の出典 世界で最も貧しい大統領の生き方・考え方が心に沁みる http://matome.naver.jp/odai/2138861428534675801 お世話になった先生とのお別れの式 (2年生)「1年4組はとてもいいクラスでした。1年4組とも岩井先生ともお別れが悲しいです。今年の2年1組も1年4組に負けないくらいいいクラスにしたいと思います。」と、岩井先生にお別れの言葉を言って、花束も上手に渡すことができました。 みんなががんばって、新しいクラスをすてきなクラスにしていくことを、お別れされた先生方も望んでくださっていると思います。 離任式を終えた教室では、自己紹介カードを書いたり、新しい教科書の記名調べが行われました。 いよいよ今日から、平常日課で授業も始まっていきます。 4年生 離任式&学活の様子(4/8)その後は各教室に戻り,学活を行いました。自己紹介カードや係決めなど,これからの学級の基盤作りを行いました。 明日から給食が始まります。給食セットを忘れずに持たせてください。よろしくお願いします。 3年生・離任式〜お世話になった先生とのお別れ〜離任式では、昨年担任してもらった先生へ代表児童がお手紙を読み、花束を渡しました。昨年の思い出や先生への思いを伝えることができました。 離任式 −岩田正武校長先生のお話(要旨)−60歳を定年と言って、学校の先生は終わりですよという歳になったので、退職をすることにしました。 先生は地域に住んでいるので、地域の人からは、布袋小学校のたくさんのことをお聞きします。 「布袋小の子は礼儀正しいですね。」「登下校も、あいさつもよくできますね。」と誉められてうれしくなりました。 今、見ていてもそう思います。 新しい学年になりました。立派にやれていると思います。 今後も、挨拶をできる子になってください。 挨拶は魔法の言葉です。 あいさつをすれば、誰とでも仲良くなれます あいさつを大切にして、元気よく過ごしてください。 みなさんはすばらしい先生に恵まれています。 新しい友達と出会い、立派な布袋小学校にしてください。 しっかり勉強して、よい小学生になってください。 離任式 −船橋三津子先生のお話(要旨)−この布袋小学校には8年いました。 今日は、出会いのお話をします。 ここへ初めて来た時、みんなが校歌を歌ってくれました。しかし、下を向き、歌詞カードを見ていました。 「この学校では、校歌を歌えるようにしたい。」と思いました。 そこで、もっと音楽の勉強をしようと思い、日本や世界の音楽を聴きに行ったり、調べたり、オペラという外国の劇やバレエを見たり、箏などの楽器も習いました。 みなさんが、音楽ってすごく楽しいよ、おもしろいよと思ってくれるようにがんばりました。 書写もやりました。小さい頃に習っていたので、みんなに教えることができてよかったなと思いながら、8年間過ごしました。 昨年の今頃、体育館で体育の授業をしていたら、卒業生がのぞいていました。 「先生、担任やっているの?」 この子たちにとっては、音楽の先生だったんだと思いました。 長い間先生をやっていたので、1クラス3人から40人のクラスもありました。 その中で、全校36人の学校で、2年生5人の担任をしたことがありました。 布袋小でその中の1人に会いました。お母さんになっていました。 感動しました。 後で、「こう言えばよかった、あれも言えばよかった」と後悔しました。 布袋小学校にお子さんがいたので、そんなことがあるんだなと思いました。 退職することになって、新聞に名前が載って、手紙やメールをもらいました。 そのときに、「一人じゃないんだ。」と、多くの人に助けられたことを思い起こしました。 最近、音楽担任とか、クラス担任を持った時、こんなことを言います。 広い世界にたくさんの人がいる中で、ここにこうして出会えるのは奇跡だよ。今の出会いを大切にして1年間がんばろうねという。 また、3月には、この1年間、このメンバーでやってこれてたことは奇跡、よかったね。楽しかったね。またね、といいます。 最後に、みなさんと布袋小で出会えたことをうれしいく思います。 最後に、みんなで歌を歌ってほしい 「君に会えて」 君たちに会えてうれしかったです。 See you again. また会いましょう。 離任式 −竹島淳子先生のお話(要旨)−とても素直で、元気いっぱいで、教室に入ると先生に声をかけてくれました。その時、みんなから元気をもらうことができました。 3年間、給食で関わってきましたが、最初に苦手なものを食べられなかった子が食べられるようになったり、家で食べるようになったりと聞くとうれしくなりました。 食べることは生きていくために必要なことです。食べ方を間違えると、毎日食べ物を体に入れるので、健康に関わります。 みなさん、どうか食べ方を大切にしてください。 江南市内の異動なので、みなさんとはこれからも関わります。 センターと学校と半分ずつ関わるので、みなさんの給食は先生が考えます。 ときどき会食に来るので、その時はよろしく。 これからも元気よく声をかけてください。 離任式 −岩本芳史先生のお話(要旨)−体育館に入ると、3年生の中に懐かしい顔を何人も見られて、この6年間のシーンでがよみがえってきました。 運動会でリレーをがんばったや、ほてっこ発表会でダンスを考えたことなどを思い出しました。 高学年の人はクラブや委員会で関わり、たくさんの思い出があります。みなさんには感謝しています。 新しい小学校は、すいとぴあ江南やフラワーパーク江南の近くにあり、江南の北の方にある草井小学校です。 全校児童が400人ちょっとで、布袋小学校の半分くらいです。 昨日も同じにあいさつをしたら、声の大きさも半分ぐらいでした。 布袋小学校の挨拶はすばらしい。 挨拶は魔法の言葉です。 私たちは出会いを繰り返しています。 はじめにおはよう、こんにちはと言えば、誰とでも話すことができます。挨拶の力はすごい。 新しい世界が始まりました。挨拶をこれからも大切にしてがんばってください。 これまでありがとうございました。 |
江南市立布袋小学校
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