5月15日(水)に5月分口座振替集金を行いました。正しく引き落とされているか一度、通帳の確認をお願いします。

今日の3時間目

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今日の3時間目の様子です。

6年生は体育館で組み立て体操の練習です。

4年生は図書館で本を借りています。

2年生は日誌の答え合わせをしていました。
ブーメランを実際にとばしています。

作品が集まってきました!

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各教室で、応募作品などを集めています。

力作ぞろいです。

運動会の練習がスタート!

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全校出校日の1時間目。

体育館では、1年生が運動会の練習を始めました。


雨の全校出校日

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あいにく、雨降りの全校出校日となりました。

夏休みの課題と傘を持っての登校です。

それでも、「おはよう」という元気のよい声が返ってきました。

【校長日記】 服部半蔵は忍者なの?

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夏休み中は、社会科に関係のある雑学を紹介しています。

今日は歴史の誤解シリーズ。
今回は、服部半蔵 です。

服部半蔵といえば、忍者のイメージが強く、いろいろなフィクションに忍者として登場します。
忍者ハットリくん というアニメもありました。実写版も・・・。ただ、ハットリカンゾウという名前でしたが・・・。

実際の服部半蔵はどんな人?

服部半蔵とは、服部正成 (左絵)のことをいいます。

正成は、戦国時代から安土桃山時代の三河の武将 です。

松平氏(徳川氏)の譜代家臣、 徳川十六神将のひとりで、槍の名人として、数々の戦で家康を支えました。

後に、父親が伊賀出身であったために、伊賀同心を統率する立場になったことで、徳川家に仕える忍者の首領とみられるようになったのです。

ということで、半蔵自身は三河武士で、忍者ではありません。
  
本能寺の変の折りには、堺に滞在していた家康が、甲賀・伊賀を通って伊勢から三河に抜ける神君伊賀越えに際し、正成が伊賀、甲賀の地元の土豪と交渉し、彼らに警護させて一行を安全に通行させて、無事岡崎まで帰しました。

これが、伊賀同心、甲賀同心として徳川幕府に仕えるきっかけを作りました。

東京地下鉄半蔵門線・半蔵門駅は、半蔵の部下が警備を担当した江戸城の門(写真右)の名に由来します。

ということで、忍者を束ねていたのが服部半蔵なのです。

ところで、伊賀者の給料は甲賀者に比べると随分と少ない そうです。

なぜ?

甲賀はルーツを遡ると、平家の落ち武者のようです。

そして、地元の小豪族となり、六角氏と主従関係を結ぶようになり、六角氏亡き後は織田信長、豊臣秀吉と仕えてきた「侍」の一門です。

それに対して伊賀の方は、決まった主を持たず、その時その時の金銭契約であっちに付いたりこっちに付いたりしていました。

これは「足軽」のする事なんです。

甲賀は正社員、伊賀は臨時雇いだったのですね。

【校長日記】 色丹島訪問記 −33−

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夏休み中を利用して、平成25年度 北方四島交流訪問事業(教育関係者・青少年)の報告をしています。

今日は色丹島の図書館 です。

8月3日(土)、15:15〜15:50、色丹島の図書館を見学しました。
図書館といっても、写真上のようにプレハブです。

1994年の北海道東方沖大地震の際、日本の援助で大量に集まった支援物資を受け入れるためのプレハブを建てました。

それまでの図書館は、地震で崩壊したそうです。

写真中で説明してくれるのは、イスーポワ司書です。
他に2人の司書がいます。

「私には3人の子どもがいたので、日本からの人道援助は助かった」と言っていました。

援助物資もなくなったので、図書館にしたそうです。

蔵書数は、23,000冊 。上の階は、ネットにも繋がっているそうです。

文学作品はよいが、科学系の本は古いのが悩みということでした。
確かに古い本が多いようです。

学校にも図書館があるので、島民の読書量は多いと言っていました。

確かに、人口千人あまりの規模で23,000冊。

人口10万の都市なら2,300,000冊に匹敵します。

これは多い!

※ 人口10万人の江南市の図書館の蔵書数は、122,625冊です。


【校長日記】 色丹島訪問記 −32−

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夏休み中を利用して、平成25年度 北方四島交流訪問事業(教育関係者・青少年)の報告をしています。

今日は意見交換会 青少年交流です。

私たち、引率の教員チームが、穴澗初等中等学校の先生方と意見交換している間には、ロシアと日本のこどもたちが議論をしました。

写真や記録はありませんが、子どもたちによると、ロシアの子どもたちは意見をどんどん主張するが、日本の子どもたちは主張できなかったと言うことでした。

かねてから言われていたことですが、日本の教育の問題点が浮き彫りになりました。
または、島国で、ほぼ単一民族で生きてきた、日本民族の特性なのかもしれませんが・・・。

その後は、レクリエーションです。

その様子は、直接見ることができました。

あたたかい空気の中で、笑顔があふれていました。 

愛西市「学力充実プラン推進事業」研修会

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昨日は、愛西市「学力充実プラン推進事業」研修会に講師として行ってきました。

テーマは「明日からできる全員参加型授業」

参加者の皆さんがとても熱心で、温かい雰囲気の中で、3時間があっという間に過ぎていきました。

9月からの授業の参考になればと思います。

【校長日記】 色丹島訪問記 −31−

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夏休み中を利用して、平成25年度 北方四島交流訪問事業(教育関係者・青少年)の報告をしています。

今日は意見交換会 その3です。


ダネリア:最初に時間とかテーマを確認していないが・・・。

副団長:テーマに関しては教育。(「変わってもいいか」の声あり)

ダネリア:質問してもいいか。私は英語が専門だが、専門教師がいないので社会科も教えている。
9歳〜14歳までは、週1時間社会科を勉強する。その中で、社会の仕組みの基本を教える。
10年生からは週3時間に増える。「社会科」を5つに分け、法律、経済、哲学、社会心理、政治を勉強する。社会科については自分で勉強して学んだが、日本では今のように分かれているのか。
日本では社会科をどう教えているのか。

団員:教頭先生に聞いたが、ロシアでは、社会と地理と歴史はそれぞれ独立した教科だ。

ダネリア:我が校の社会科は5つの柱にして取り組んでいる。繰り返すが、その5つがそれぞれの専門の科学である。それを、一人の先生が全部教えるのは大変だがどうか。

団員:日本では小中学校は総合社会科。小学校では地理と歴史。中学校ではそれに公民が入る。
地理は、実際にどこでどんなふうに生活をしているのかを学習する。
歴史は、昔どんな生活をしていたか、どんな出来事があったか、そこから何を学ぶかを学ぶ。
公民はそれを生かしてどう生活するのか、どんな社会にするのか。公民的資質というが、大人になって、どう生活をするのかを学ぶのが社会科である。
高校になって、さらに政治・経済、倫理・社会と分ける仕組みになっている。

ダネリア:とてもおもしろいので確認したい。地理と歴史はよくわかる。
たとえば、高学年は、ロシアの選挙制度を教える。権力組織や国、州、地区の政治を教える。その授業が終わると、市場経済、グローバリゼーション、お金、市場とは何かを教える。次に、法律を教える。民法、権利、憲法、各国の憲法を教える。

文化についても話をする。また文化に反すること、トランスカルチャーも教える。
社会科という形で5つの柱をカバーしなければならないが、日本の先生はどう授業をするのか。国と国の条約や政治はどう教えるのか。

団員:高校は専門分野を教える。政治や経済の先生は、その科目を中心に一人で教える。大学受験のために専門的な知識が必要だから。歴史も一人で教える。

ダネリア:そんなに大きくない学校でも、専門家が教えるのか。

団員:日本には小さい学校がないので、イメージしにくい質問だ。専門家が教えている。

ダネリア:私は、週に社会科を13時間教えている。他に、英語3時間、安全2時間などで、合わせて19時間だ。全体的には少ない方だが、みなさんはどうか。

団員:同じぐらい。道徳や学級活動など全部入れると、だいたい20時間前後になる。小学校はもっと多く、全部の科目を教える。

ダネリア:授業の持ち時間数は先生によって決まっているのか。

団員:子どもの授業時間数は定められているが、先生の持ち時間は決まってはいない。

ダネリア:それでは、給料は何によってきまるのか。たくさん教えるからか。
私は19時間で、1時間いくらと決まっている。レポートを調べることによって、少しお金がもらえる。
また、経験がプラスされる。レベルによっても換算する。日本ではどうか。高校と小学校で、時間数が違っても給料は同じか。

団員:年齢だ。高校が高くて中小学校は少し下がるが、時間数には関係なく給料は同じである。

ダネリア:国はみなさんの労働を正しく評価して給料をくれるのか。(笑)

団員:日本では、2年前に大震災があり、防災教育が始まった。色丹も災害があると思うが、何を指導しているか。

ダネリア:色丹島の地震と津波の危険性は日本と同じ。東日本大震災では、色丹の住民も心を痛め、大々的に支援も行った。
1994年10月の北海道東方沖地震では破壊的な被害を受けた。
そこから、震災の教訓を学んで、犠牲を出さないように授業をしている。生活における安全の基本という授業をやっている。

そこでは、震災や気候変動によって起きる災害に対してどうするかを子ども達に教えている。また、地震と津波に関しては、どうして起きるのか、起きたときにどうするのかを教える。

日本では地震の訓練を見る機会があったので、本校でもそれを生かしている。

地震が起きたときは、子ども達は、机の下に隠れるとか、柱の陰に隠れるなど、瞬時に体を動かすくらいに訓練している。   
今学校の校舎は耐震の最高のものを使って建てているので、問題はない。

団員:安全の授業の教科書はあるか。週に何時間教えるのか。

ダネリア:安全について、本来はすべての学年で学ぶべきだが、8年生と10年生しか教えていない。専門の先生には、それではいけないと言われたが。
8年生で週に1時間、10年生で1時間あり、教科書もある。
10年生は、ロシア全体で、軍役をやるのが基本なので、応急処置、軍備、軍に入る心構えとかそのことをやる時間が別にもう1時間ある。年間34回だ。

団員:徴兵制があるのか。

ダネリア:大学に入学するか、健康に問題があるか、家庭状況が許さないかなどのちゃんとした理由がなければやる。
兵役は1年間。18歳から28歳までの間で1年間やる。18歳になると、徴兵状がくる。大学生は終わってから、健康に問題がある人は治ってから、かならず軍役に着く。免除ではない。兵役を免れるには、結婚して子どもを二人以上作ればよい。(「だから結婚が早いのか…」の声あり)また、母にハンディキャップがあり、家庭を支えるのが自分しかいないとなれば免除される。

徴兵時には、わずかではあるが、給料がもらえる。最近は、兵役だけではなく、職業軍人として、国防省とプロとして契約すると給料はいい。

大学に行けない学力だった私の教え子は、軍人になったら、私より給料が2、3倍いい。

団員:本土の平均所得と島では違いがあるか。

ダネリア:昔は違っていた。これには、二つ手当がある。北方手当で給料が2倍。これに僻地手当があって2.5倍になるが、いろんな理由で、本土の給料とあまりかわらない。

一般的には、給料には非常に差があるので、平均給料は出せない。おおよそ1,700ドルぐらいではないか。もちろん例外もあり、先生でも4,000ドルの人がいる。

ただ、基本給だけではなく、住居は国から与えられ、光熱費も無料。それと、もう一つは2年に1回、島からロシアのどこでも行く費用の往復の運賃を国が持ってくれる。

いろんな特権は、公務員だけではなく、ここに住んでいる人は誰もがある。民間は使用者が払うことが法律で決まっている。
家賃とかは、先生、文化系の人(芸術家)、軍人、医師は払わなくてもよい。暖房費(光熱費)は払ってもらえる。

団員:色丹島には、どのくらいの人がずっと住んでいるか。

ダネリア:そんなに多くはないがいるにはいる。私はサンクトペテルブルグ出身だが、ここへ来て、子どもが二人生まれた。二人とも、大学はサンクトペテルブルグに行っている。ここで生まれたが、仕事はここではやらないだろう。
どれぐらいがずっと住んでいる人か、興味を持った質問なので調べてみたい。

副団長:大変熱心な意見交換をありがとう。

ダネリア:島側の教員が少なくておわびしたい。私の方も、質問ができよい機会であった。

副団長:私たちは同じ仕事をしているので、それぞれでがんばっていきたい。

〈 感 想 〉

あっという間の2時間であった。
近くて遠い国ではあるが、校内を見学し、直接意見を交流する中で、心理的な距離は大きく縮まったと思う。社会科教員としての情報交換に時間を割いたために、領土問題についての認識や子ども達の意識等の質問には踏み込めなかったが、こうした草の根交流をベースにして両国の友好関係を構築し、領土問題が解決することを心から望みたい。

【校長日記】 ソウルの地下鉄

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夏休み中は、社会科に関係のある雑学を紹介しています。

今日は、ソウルの地下鉄

社会科に関係ない?
いえいえ、関係ありますよ。

私の好きなまち・ソウル。

そのソウルの地下鉄は1号線だけが左側通行で、その後の2号線以後は右側通行 です。

なぜ?

韓国の旧国鉄は、日本統治時代に敷かれた左側通行 を採用しています。

戦後、アメリカの統治下におかれ、車は右側通行 になりましたが、鉄道はそのまま残りました。

地下鉄1号線は、旧国鉄とつながっているため左側通行。

それ以後にできた地下鉄は、車と同様に右側通行にしたのです。

困ったことがおきました。地下鉄4号線です。

右側通行なのに、左側通行の在来線に乗り入れる ことにしたのです。

ぶつかってしまう?しかも、地下鉄は直流、在来線は交流


そこで、境界駅の南泰嶺〜ソンバウィ間で、デッドセクション(無電区間)をつくり、地下で立体交差により左右の通行が入れ替わるようにしたのです。

かつて、東京・銀座線も、無電区間で電気が消えていましたね。


どちら側を通行するかにも、歴史があるのです。


ところで、韓国の学校では、朝礼、修学旅行、運動会、遠足、班長と週番制度、校訓とクラス標語、登校指導、服装検査… があります。

1968年の国民教育憲章公布で全面的に再整備され70年代に定着しました。
この中には、日本統治時代の名残もあることでしょう。 

少し前に、ソウル教育大教授が、これらを「日帝残滓」と主張していました。だからどうしたいのかは分かりませんでしたが…。

その経緯はどうであれ、文化は混じり合うものだと思います。

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【校長日記】 色丹島訪問記 −30−

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8月3日(土)13時から15時の2時間、穴澗初等中等学校において、穴澗初等中等学校の先生方とわれわれ訪問団員とが意見交換を行いました。

2グループに分かれた、その第2グループの様子を紹介します。今回はその2回目。


団員:この学校は1年から11年生まである。日本は6・3・3制だが、どうしてか。複式学級か。

教頭:その方が便利だから。町が小さいから仕方がない。
ロシアは国として1年生から11年生までのシステムをとっている。しかし、昔は、小と中が分かれていたこともあるし、男女別の時もあった。

ダネリア:いろんな学校があり、サハリンのユジノサハリンスクの学校は、小学部と中学部は別々にやっている。
来年できる斜古丹の学校は、幼稚園から一緒にやるそうだ。地域によって多少のバリエーションはある。                  
それと、普通は11年終わってから大学へ入る子もいるが、9年・10年やって、カレッジに行って、特殊な勉強をやっていく子もいる。

団員:島の子は、将来島から出ていくが、その心構えを教えるのか。

ダネリア:色丹は小さいので、大学などの特別な学校を作る意味がないので、子ども達は本土などの大学へ行く。また、9年を終えて、サハリンの学校で学ぶ子も数人いる。精神的に子どもが準備をすることもあるが、高等教育への理解は親の間に浸透している。

しかし、資格を取っても、実際に社会で生かせるわけではない。最近の調査では、大学卒の80%が自分の専門の仕事に就いていない。特に文系に多い。

我々としては、卒業の後は、必ず大学に行かなくてもいいのではないか、(専門学校等で)専門の知識を得た方がいいのではないかと思っているが、両親の考えを変えるのは難しい。

逆に質問したい。日本では、こういう問題はないのか?工場で働く人なのに、大学を出た方がいいと思っているのか?

団員:個人的には、日本では、進学率を高めたいと思ってもやっと50%を越えるようになってきた。いわゆるブルーカラー、高校を卒業して就職しようとすると厳しい。

ロシアのカレッジと、日本の専門学校とは違うかもしれないが、高校の後は、大学に行くように勧めている。

団員:中学校の進路選択は、経済の様子によって変わってくる。たとえば、高卒後の就職率が高いときは、実業系の人気が高く、就職率が低いときは、大学を目指す子が多い気がする。 

ダネリア:大学を卒業した人は、自分の専門を生かす仕事を見つけることはできるのか。

団員:それは厳しい。日本もロシアと同じような状況である。

ダネリア:ロシアでは、大学の数が増えて質が落ちた。卒業生の質がよくないので、大学の数を減らす傾向にある。それは日本でもあるのか。

ただ違うのは、ロシアの大学は国立で、ほとんどが無料。大学には、一部は有料な部分もある。優秀な子は無料でいけるが、成績の悪い子は、お金を払って入る大学もある。

団員:日本の国立大学は入るのが難しいので、私立大学の方が多い。レベルの違いはあるが、国立でも初年度80万円以上かかる。私立だと、理系と文系で異なるが、100万から150万円かかる。日本人の平均年収が300万から350万円なので、国立に入ることができても保護者の負担は大きい。

ダネリア:奨学金とかローンのしくみはあるか。ロシアでも、奨学金の額は少ない。

団員:日本は、アメリカやロシアに比べたら少ない。日本には、約900の大学があり、高校生の数をまかなえるだけの定員がある。しかし、それでも進学率は50%を越えた程度。

高学歴化が進んでおり、大学院を出ても就職率が5割を越えた程度しかなく、どうしてよいかわからない。
(ここでノリチェバ先生が退席。入れ替わりにマルチェンコ先生が参加。)

ダネリア:ノリチェバ先生のおかげで色丹の子ども達のスポーツレベルが高い。

団員:日本では、発達障害やいじめ、不登校などの問題があるが、こちらではどうか。

ダネリア:ロシアは大きいがここは小さい。こちらで27年間働いているが、いじめや発達障害などには出会ったことがない。ただ、マスコミ報道を聞くと、ロシアの中ではあると聞いている。発達障害児などはおかげでいないし、授業をさぼる子、校内で喫煙する子はいない。

マルチェンコ:ダネリア先生の教え子で、現在、授業の補助をしている。確かに昔はいなかったが、最近は子ども達が図々しくなって、先生にわからないようにたばこを吸う子もいる。

ダネリア:私が考えるのは、今のところはまだ古い伝統が残っている。なぜなら、先生の年齢が高いから、年上の先生を尊敬しなさいというモラルを教えている。

教頭:先ほど、教室を見てもらい気づいたと思うが、ゴミが落ちていないし、壁のへこみ、机の落書きもなく、物も壊れていない。(公共物を)大事にしようとする心は育っている。

ダネリア:日本にもいろんな学校があり、状況もいろいろだと思うが、私が思うには、先生の教え方によっているのではないか。

団員:秩序を教えることが基本だ。1年生から11年生までが一緒に暮らすことのメリットは。

ダネリア:この学校はユニークだと理解してほしい。小さいところなので、家族のように過ごしている。大きい子が小さい子によいイメージを与えようとしている。
しかし、よその学校では、逆に、大きい子が悪い見本を見せる場合もある。だから分けようということもある。

教頭:小さい町なのでみんな顔を知っている。家族みたいなものだ。

 明日に続きます。

今週の予定

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今週の予定をお知らせします。

8月17日(月)


8月18日(火)
西運動場 雨水貯留槽 ポンプ点検
 

8月19日(水)


8月20日(木)
全校出校日
現職教育

8月21日(金)
消防設備点検
江南市教育研究会

 写真は7日に行われた市民サマーフェスタの様子です。

【校長日記】 世界の救急車・消防車事情

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夏休み中は、社会科に関係のある雑学を紹介しています。

今日は、世界の救急車・消防車事情
次の記事をご覧ください。

救急車の有料化をめぐる議論が、いよいよ本格的に始動することになりそうだ、2015年5月11日に開かれた財政制度等審議会(財務相の諮問機関)で財務省が示した案の中で、「軽症の場合の有料化などを検討すべきではないか」と明記されたためだ。
 出典  http://www.j-cast.com/2015/05/12234979.html 

世論調査でも、救急車の有料化に賛成する人が多いようです。
確かに、病院の診察代に転嫁すればよく、内容によっては保険適用もあり得るでしょう。今後の論議が待たれます。

それでは、海外ではどうなっているでしょうか?

たとえば、オーストラリアの救急車出動は有料です。

基本料金に走行距離が加算されていきます。タクシーみたいですね。使用料金がけっこう高いので、オーストラリアでは救急車を気軽に呼ぶことはありません。

 http://www.au-saa.com/contents/li/li_hospi.htmlによれば

VIC州 距離に関係なく659ドル(無制限)(約6万円)

QLD州 基本料金 781ドル(救急)(約7.2万円) 追加料金 1.25ドル


それでも赤字の州の中には、電気料金に強引に上乗せして徴収するようになりました。電気料金の領収書には“Community Ambulance Cover 3ヶ月分$24.78”などと書かれています。

アメリカも州によって異なりますが、1万1千円から12万円までなど、かなり高額です。 

その他、次のサイトをご覧ください。

海外の医療事情 http://4travel.jp/doc/insurance/help_iryo.html

有料が多数派です。


それでは、消防車は有料?無料?

私がオーストラリアで聞いたときは、オーストラリアの消防車は、誤報であっても約2000ドル(18.4万円)の支払いを請求されるといわれました。高いですね!

今はどうなのでしょうか?

どなたか教えてください。

マナーがよければ、有料化の話題は出ないはずです。

公共の精神について、見直すべきですね。

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【校長日記】 色丹島訪問記 −29−

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夏休み中を利用して、平成25年度 北方四島交流訪問事業(教育関係者・青少年)の報告をしています。

今日は意見交換会 その1です。

8月3日(土)13時から15時の2時間、穴澗初等中等学校において、穴澗初等中等学校の先生方とわれわれ訪問団員とが意見交換を行いました。

2グループに分かれた、その第2グループの様子を紹介します。今回はその1回目。

参加者〉
島 側
オレイニコワ教頭、ダネリアさん、ノリチェバさん(途中まで)、マルチェンコさん(途中から)

訪問団側
高橋由紀子通訳、岩佐貴美子副団長、団員13人(第2グループ)

〈 内 容 〉

副団長:今回訪問させていただくことになった私たち教育関係者が、ロシアの教育に携わっておられる方々といろいろ情報をいただく機会を取っていただき、ありがたく思っている。それぞれの国の間では教育の事情も違うと思うが、私たちに教えていただき、相互の理解を図っていきたい。それでは事前に考えてきたのでお尋ねしたい。

教頭:時期が悪く休み中で残っている人は4人しかいないが、可能な限りお答えしたい。

副団長:私たちはほとんどが社会科教師で小、中、高校の教師がいる。参加された先生はどうか。

ダネリア:5年生から11年生の社会科を教えているが、基本は英語。2年生から11年生の生活安全も教えている。

教頭:生物と化学を教えるが、現在は8年生から11年生の化学だけ教えている。

ノリチェバ:体育を週3時間、全ての学年を教えている。バスケとバレーの部活動もやっている。

団員:それでは、はじめに本田圭佑選手(ロシア・プレミアリーグ・CSKAモスクワ所属)を知っているか。

ノリチェバ:知っている。子ども達はサッカーをやっているが、専門の先生もおり、本田選手のことはよく知っている。

団員:スーパーリーグの話には関心があるか。

ノリチェバ:スポーツチャンネルがあり、子どもは好き。カザンではユニバーシアードもあった。テレビを見ては、チームの勝利を喜んでいた。ユニバーシアードカザン大会では、ロシアがメダルの第1位だった。

ダネリア:日本では、カザンでユニバーシアードであったことは知っているか。日本も出ていたが。

団員:知らなかった。今回は世界水泳ばかり見ていた。シンクロはロシアが強い。日本の選手がモスクワで活躍しているのをどう感じるか。

ノリチェバ:悪くない。

団員:色丹の子ども達が日本に来てやることはないか。

ノリチェバ:今のところはない。ロシアにもよい大学があるので。

団員:朝、船から下りたとき、京都に来たことがあると聞いた。また来てほしい。

ダネリア:その招待をぜひお受けしたい

団員:修学旅行で京都に来ることはあるか。

ダネリア:島であり、文化的な都市からは離れているので、修学旅行に行くことは難しい。
実際には、子ども達は、夏休みを利用して両親と一緒に本土やヨーロッパ、極東へ親戚を訪ねるので、夏の修学旅行の実施は難しい。
夏休みには姪が帰ってきたが、この休みを利用して筏に乗ることなどを体験してきた。本土の子は、サンクトペテルブルグなどの大都市を見ることはある。
ここの子ども達は、年に2回、本州のどこかの町と、1回は北海道に行く機会がある。
だから修学旅行と同じだ。

団員:1回につきどれくらいの生徒が行くのか。また、学生の時代に、1回は日本に来るのか。

ダネリア:9人行く。国後島や択捉島は、人口に比例して多くの生徒を出す。また、一人1回に限らず、2回、3回と行くこともある。成績のよい子、日本語を勉強している子、芸術などの成績のよい子が行ける。

団員:京都で気に入った所はどこか。

ダネリア:個人的には神社仏閣の参拝が好き。子ども達も気に入ったのは金閣寺。京都にいるときは自由時間があったので、レンタサイクルで子ども達と回った。好きなように散策できてよかった。
本物の芸者(舞妓・芸妓?)も見ることができた。芸者という文化があることは知っていたが、生で見ることができてラッキーだった。

団員:金閣寺の近くに住んでいるので、近くに来られたら声をかけてほしい。

副団長:ビザなし交流が、子ども達の世界を広げることに役に立っているか。

ダネリア:非常に大きな役目を果たしている。1990年代は、財政が苦しく、島から出られない子どもも多かった。近い国である日本に行けることは、日本に馴染むことができ、大学に行って日本語を勉強している子も出ている。そのうち一人は日本に住んで、ロシア語を教えている。子どもの時代に日本を見ると、日本を近い存在と見るようになる。
現在は島の経済状況がよくなり、本土に行く資金を持つことができるが、それでも、日本に対する興味は減っていない。喜んでビザなし交流を行っている。

   明日に続きます。

【校長日記】  愛知用水

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夏休み中は、社会科に関係のある雑学を紹介しています。

今日は愛知用水

4年生社会科では、郷土を開いた人々の学習が行われています。
比較的新しいところでは、愛知用水をはずすわけにはいけません。

1961年9月30日に、愛知用水の通水式が行われました。

尾張丘陵部は、昔から水不足が問題になっていた地域です。

そのために、江戸時代には、江崎善左衛門ら六人衆が入鹿池をつくり、さらに木津用水や新木津用水を開削し、新田開発が進みました。

その昭和版が愛知用水です。

尾張丘陵部から知多半島にかけての一帯に農業用、工業用、上水道用の水を供給している用水です。


岐阜県八百津町から知多半島南端の南知多町に至る112キロメートルの幹線水路と、幹線水路から分岐して農業用の水を導く支線水路1,012キロメートルからなります。

Wikipediaによれば、第二次世界大戦後、浜島辰雄元陸軍幼年学校教官の発案に吉田茂が協力し世界銀行の融資を受け、アメリカ合衆国の進んだ土木技術、建設機械を用いて、わずか5年間で6,800立方メートルを蓄えるダム(牧尾ダム;写真中)、幹線水路、支線水路を建設しました。

日本も戦後はODAの恩恵を受けていた のです。

ちなみに、東海道新幹線や黒部第四ダム、東名高速道路もODAのお金で建設しました。
その借金を返済し終えたのは平成2年です。

この愛知用水は、ため池に頼っていた尾張丘陵部、知多半島の農業・井戸に頼っていた住民の日常生活を著しく向上させました。

なかでも、知多半島南部や日間賀島・篠島・佐久島の住民からは特に感謝されたようです。
また、この用水によって、今の新日本製鐵名古屋製鉄所もつくられることになりました。


愛知用水がなければ、今の愛知県の繁栄はありません。


発案者や決断者、建設時に不幸にも殉職された50名の方々に感謝せずにはいられません。

【校長日記】 色丹島訪問記 −28−

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夏休み中を利用して、平成25年度 北方四島交流訪問事業(教育関係者・青少年)の報告をしています。

今日は交流行事アトラクション

昼食後、12時から50分間、交流行事としてのアトラクションが行われました。

訪問団側からは、大谷先生の空手の形の披露。
青森県チームの大湊ねぶた囃子、流し踊り。
井上先生、大谷先生による護身術。大迫力でした。
東京チームによる、ロシア語でのカチューシャの合唱、木俣さんのピアノ演奏と続きました。

色丹島からは、日本語受講生による日本語での発表と合唱、ピアノ演奏が披露されました。


和気藹々とした雰囲気の中、会場にはあたたかい空気が流れていました。

こうした中で、ちょっとした一芸を披露できることは、国際交流では大切な事です。

学校に集まった色丹島のみなさんは、もともと日本への関心が高い人で、おそらくビザなし交流での訪日経験のある人も多いのではないかと思います。
そのみなさんに、空手、護身術、民謡という日本的な文化を、肌で感じ取ってもらえただろうと思いました。

次回からは、いよいよ意見交流会です。

【校長日記】  夏休みの宿題・自由研究特集 リンク集

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私は、毎日ブログで教育情報などを発信しています。

そのアクセス数も分かりますが、最近増えているのがこのサイトです。

夏休みの宿題・自由研究特集 リンク集

閲覧数は、毎日、3,000から5,000ぐらいになっています。

それほど、皆さん苦労しているのかなと推測します。

困っている方は、ここをクリックしてみてください。
 http://blog.goo.ne.jp/syaraku0812

【校長日記】 色丹島訪問記 −27−

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平成25年度 北方四島交流訪問事業(教育関係者・青少年)の報告です。

夏休み中を利用して、平成25年度 北方四島交流訪問事業(教育関係者・青少年)の報告をしています。

今日は穴澗初等中等学校について、書ききれなかったことを紹介します。

(写真上)
学校のグランドです。
いろいろな遊具がありますが、狭く球技は出来ません。
球技は体育館でやるそうです。

ランニングは、学校の敷地の外周を走ります。

(写真中)
生徒の日本語の自由研究です。
おそらく、日本からの来客があるということで、気を遣ってくれたのでしょう。

松尾芭蕉の「奥の細道」 を調べています。

「古池や  飛び込む 水の音」  「かわず」の文字が抜けているのが子どもらしいですね。
「しばらくは 瀧にこもるや 夏の初め」

かつて、この学校からお茶の水女子大学に進学した生徒がいました。
この生徒も日本に来てくれるかもしれません。

(写真下)
校舎から廃墟が見えます。
1994年(平成6年)10月4日、北海道根室半島沖約200kmを震源とする、マグニチュード8.2の大地震がおきました。北海道東方沖地震 です。
北方領土にも大きな被害があり、多くのロシア人が本土へ帰りました。

写真の建物は、ロシア軍関係の建物でしたが、そのまま放置されています。
色丹島内には、こうした建物があちこちに残っています。

【校長日記】 色丹島訪問記 −26−

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平成25年度 北方四島交流訪問事業(教育関係者・青少年)の報告です。

夏休み中を利用して、平成25年度 北方四島交流訪問事業(教育関係者・青少年)の報告をしています。

色丹島・穴澗初等中等学校を紹介しています。

今日は職員室・化学室・物理室

写真上が職員室
オーストラリアの学校もそうでしたが、自分の机はなく、どこに座ってもいいようです。
前に、連絡掲示板がありました。
自分の荷物は、自分の教科教室にあるので、ここはミーティング程度しか使わないそうです。

写真中が化学室。教頭先生の部屋です。周囲は観葉植物でいっぱいでした。
元素の周期表や等の掲示物がありました。

写真下が物理室
準備室には、いろいろな教材がありました。
掲示物には、矢印が付いたモーメントの表がありました。

まだまだ、いろんな部屋があるのですが、部屋シリーズはここまでにしましょう。

明日に続きます。

【校長日記】 色丹島訪問記 −25−

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平成25年度 北方四島交流訪問事業(教育関係者・青少年)の報告です。

夏休み中を利用して、平成25年度 北方四島交流訪問事業(教育関係者・青少年)の報告をしています。

色丹島・穴澗初等中等学校を紹介しています。

今日は文学教室&歴史教室


前にも説明しましたが、この学校は、生徒が教科の教室へ移動します。
海外では一般的ですが、教科の先生の部屋へ、生徒が休み時間中に移動するのです。

写真上はロシア文学教室です。トルストイやドストエフスキーの写真も当然ありました。ロシア語(国語)の教室とは別にあるのです。

偉人の写真の中に、何と、アレクサンドル・ソルジェニーツィンの写真が!
ご存じのように、彼は、ソビエト連邦時代の反体制作家であり、強制収容所を世界に知らせた『収容所群島』でノーベル文学賞を取った人です。

ロシアとしては、偉大な作家として認めているようです。
ソ連時代とは違いますね。


その下は、今回のメイン、歴史教室の掛け図です。

日露戦争のポーツマス条約後の領土を、色丹島ではきちんと教えていました。
そして、現在の地図では、北方領土はロシアの色に塗られています。

まずは、日露戦争の結果を正しく教えているということに(当たり前のことですが)驚きました。

今の、隣の某大国とは違います。
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