6月分集金の口座振替日は、6月7日(金)です。集金額は、1年生 8,000円、2年生 7,000円、3年生 8,000円、4年生 9,000円、5年生 10,000円、6年生 9,000円に振替手数料(11円または22円)を加算した金額となっています。6月6日(木)までに、ご指定の口座へ入金をお願いします。

システムをつくる −掃除編−

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以前、システムをつくる人は大切だという話を書きました。

今日、2年生の教室掃除を見ていて実感しました。

先生が何も指導しなくても、みんなしっかりできているのです。(写真上)

なぜ指導しなくても、掃除ができるのでしょう?

それがシステムなのです。

1・2年生は、全クラスで掃除の仕方を統一しているのです。
そのやり方が、この図(写真下)です。

この方法だと、ほうき、から拭き、机運びの誰もが同時に動くので、遊ぶ人が出なくなります。
その分早く終わり、空いた時間は別のところをきれいにできるのです。

この方法を考えた人も、1・2年生のやり方をそろえた人もシステムをつくった人といえるのです。

世の中は、いろいろなシステムで動いているのです。

今日の朝礼は−ほってこの話の聴き方・話し方 1−

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今日の朝礼は、ほてっこの話の聴き方・話し方の話をしました。

岐阜市の研修校で広く行われている方法で、江南市全体でもすでに行われています。

教師でも、児童でも、外部講師の方でも、もちろんPTA役員の方でも、いつでも出来ることを目指します。

話し手の言葉で「はい」といって正対します。
その言葉とは、「お話しします」「聞いてください」などです。

なぜ「はい」というのか?

それは、それまで聞いていなかった子を巻き込むためです。

教師は、姿勢の悪い子がいるのを、いちいち注意しません。
「やすめ」「気をつけ」の号令だけで、姿勢が直ることを知っているからです。
直ったところで誉めることで、さらに自己肯定感が高まることをわかっているからです。
注意で直すより、誉めて直した方が、子どもも教師も幸せですよね。

その一つが「はい」なのです。

文科省の調査によれば、1学級平均あたり6%の発達障害の疑いのある児童生徒がいることがわかっています。
この子たちは、ルールがはっきりとしていると安心します。
ルールで行動することで、ほとんど目立たなくなるのです。
心が安定し、学習行動に向かうようになるのです。

そういった子たちのためでもあるのです。

それではなぜ正対するのか?
正対とはおへを向けて相手を見ることです。

これもやってみればわかるのですが、みんながうなずきながら聞いてくれると、話す人は安心します。
発表意欲も増し、ここでも自己肯定感が高まります。

しかし、もっとも大きな効果があります。

教師にとって、誰が聞いていて、誰が聞いていないかがすぐにわかるからです。
すなわち、支援の対象がわかるのです。

私たちは、全員参加の授業を目指しています。
そのための見える化の一つなのです。

また、微妙な人間関係を見つけることもあります。
特定の子に対して反応が遅いときに、その裏にいじめに発展する要素があるかもしれないのです。
実際に、未然にいじめが食い止められたことも報告されています。

私たち教師は、話す人よりもむしろ、聞く人に注目しているのです。

続きます・・・

今日の朝礼は−ほってこの話の聴き方・話し方 3−

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ねり合い

先日の会議で、私たちは、「ねり合い」をめざすという提案がありました。

「ねり合い」とは、仲間と考えを出し合うことで、よりよいものに高めることです。
「話し合い」とは、目的意識が違います。
より高いものを目指す、向上心が必要だからです。

また、どちらがよいかがわからないといけません。
「評価」する力も必要です。

子どもたちの現状を見ながら、低学年はねり合いの基礎としての話し合いを、高学年にはねり合いの姿として、高め合うことが出来ることを願って指導していきます。

それには、教師と子どもが1対1の関係ではできません。

まずは、子どもたちの中で意見がつながることを目指します。

ご期待ください!

今日の朝礼は−ほってこの話の聴き方・話し方 2−

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聴き方で「最後まで聴く」というのがあります。

子どもたちの中には、ついしゃべって、話を遮ってしまう子がいます。
そうではなく、指名された子には、話す権利を与えられたのですから、その子が話し終わるのを待たなくてはいけません。
もちろん、つぶやき程度はよいのですが、邪魔をしてはいけません。
そのために「最後まで聴く」という約束があるのです。


話し方では、「みんなの見えるところで」
というものがあります。

これは、寺子屋以降の日本の教育史始まって以来の転換です。

なぜなら、教育とは、教師は児童生徒に話し、児童生徒は教師に話すものだったからです。

一部、松下村塾のような私塾で、塾生が塾長と共に向き合い、議論を戦わせたようなところもありましたが、ごく一部の例外です。

松下村塾の発想なのです。


私たちは、子どもたちに生きる力をつけたいと思っています。

長い人生の中で、身近に導いてくれる「師」がいるときは、実はわずかです。
社会に出ると、仲間の中で問題を解決していく機会の方が、ずっと多いのです。
だからこそ、教室では、仲間の中で話し合って、練り会って、問題を解決する経験を積んでいくのです。
そのために、児童は、児童に向かって話すのです。

しかし、長年で培ったものは、なかなか抜けきれるものではありません。
「依存」の気持ちが強い間は難しいのです。
これは「自立した集団」がどうかを、見る視点になります。

学校におみえになった折には、どうぞ注目してください。

「みんなが見えるところで」


みんなが見えるところにさっと移動できるときには、その場所でみんなに向かって話します。
みんなに聴いてもらう喜びを味わった子は、自然と出来るようになります。
場所やタイミング等、自分で判断することなので、レベルの高い約束です。

「ことばをかけてから」は、「聴く」のところで説明しました。

一種の号令で、けじめをつけるためです。
クラスの中には、それでリセットできる子もいるのです。

「遠くの子に来こえる声で」

声の大きさは意外と大切です。
人間ではありませんが、動物の社会で、声が大きい方が生命力が強いという話を聞いたことがあります。
声は、体を使って発声するものですから、それも十分わかります。

しかし、わたしたちは人間です。

時と場に応じた声の大きさで話すことの方がより重要になります。
これは、そのとき時々に指導していく必要があります。

でもどうしても小さい声の子もいます。

そんなときこそ「聴くは思いやり」
みんなで静かにして一生懸命に耳を澄ます。

それは美しい光景です。

18/24 (24分の18)

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昨日、PTA役員の方と話をしていてふと気付きました。

私は、学校で勤務する経験は今年で24年目。(他に教育委員会事務局が10年)

その24年中、18年が布袋(布袋小・布袋中)なのです。

4分の3。75%です。

前回勤務した痕跡がありました。

この傘立ては、 私が昭和57年、夏休みの職員作業で作ったものです。
板にドリルで穴をあけ、その板を半分に切断し、ヤスリをかけました。それが今でも使われているのを見て、うれしく思います。

金管クラブは、昭和60年に作りました。
初老記念でいただいた金管楽器をもとに、友人から楽器を借りまくり、自分の楽器も提供してクラブを立ち上げました。

金管クラブは、今年で30歳なのです。

続々 時代の先を読む力 −1−

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学校は20年後、30年後、40年後に活躍する人を育てるところです。
教師は、時代を読まないといけません。

時代の先を読む力を、先人から学ぶシリーズ。
今回は、徳川家康

愛知県の製造品出荷額は、36年連続全国第1位です。
これは、家康の政策と関係があるのです。

徳川家康は、関ヶ原の合戦の後、秀吉が領有していた木曽檜の山林を自分の土地(蔵入地)としました。
(木曽氏や山村氏などの話は複雑になるので略します)
木曽の山林がもつ価値を知っていた秀吉も家康もさすがです。

その家康は、尾張藩の初代藩主・徳川 義直に木曽を譲ります。
そして、森林保護を力を入れると共に、河川を改修して、木材を運びやすいように環境を整えました。
「ひのき一本首一つ」という言葉は、あまりにも有名ですね。

その周辺地域を含めた木材は、その後の大きな力になりました。
伝統工業である名古屋のタンスや仏壇もさることながら、前回紹介した、時計・航空機・車輌も、豊富な木材資源を生かしたものでした。

特に、愛知の時計はアジア(世界?)1位でした。
その理由は?

当時、木材の価格は、多くは運搬費用でした。切り出すのは簡単ですが、道路やトラックはない時代、運搬に多くの人手を要したのです。
しかし、木曽川(支流も含む)沿いの山林は、切り倒した後、川の流れを利用して下流に流し、途中で筏(いかだ)を組んで、熱田の白鳥まで運んだのです。

現在は休止している「ライン下り」の終点は、流れが緩やかになるところ、それが犬山・鵜沼地区なのです。

犬山・鵜沼には材木が集結し、ここで筏を組んだのです。

木曽節でうたわれる「木曽のナア〜アなかのりさ〜ん」の「中のりさん」は船頭さんのことです。

従って、運搬費が安く済み、低価格で作れたのです。
前回述べたように、からくり技術は世界トップクラス。
安いコストと高い技術
精密機械である時計生産がアジア1位になるのは必然だったのです。

愛知時計電機からは、愛知航空機株式会社が分離しています。
当時は、航空機や鉄道車輌にも、木材が多く使われていました。

あれ?
家康はあまり関係ない?

いいえ、仕組み(システム)を考えたのは家康なのです。
実際に行動する人も大切ですが、仕組みを考える人はもっと大切なのです。

参考サイト
 
木曽川・飛騨川の筏(いかだ)流しと人々
 http://book.geocities.jp/gifurekisi/rekisi/no24.htm 

画像出典
職人が作る木の上ネット 
http://kino-ie.net/genba_201.html 



親の監督責任は・・・・

新聞報道等でご存じだと思いますが、親の賠償責任が争われた民事訴訟で、最高裁が「親に賠償責任はない」とする判決を言い渡しました。

読売新聞から引用します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

子供が起こした事故が原因で死亡したお年寄りの遺族が子供の両親に損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(山浦善樹裁判長)は9日、「通常は危険がない行為で偶然損害を生じさせた場合、原則として親の監督責任は問われない」との初判断を示した。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150409-OYT1T50063.html?from=ytop_top

亡くなった方やご家族には気の毒ですが、これは最高裁の判断通りだと私は思いました。

下部にある上の画像を見てください。(画像は本日の中日新聞から引用します)

通常のフリーキックの練習をしていたボールがフェンスを越えたものです。
悪意は全くありません。
また、ボールを避けようとして転倒したもので、死因である誤嚥性肺炎とは、直接の因果関係がありません。

私は、むしろ、二審である大阪高裁が、よくも約1,180万円の賠償を命じたものだと思いました。

しかし、これはあくまでも通常の場合です。
毎日新聞は社説で次のように書いています。

「個別の事案であり、判決を一般化するのは難しい。男児がふざけて外に球を蹴り出していれば、異なる結論になった可能性がある。」

やはり、学校関係者や保護者は、子どもたちにきちっと指導をしなくてはいけません。

さらに、「今回の事案は、校庭でのできごとだ。球が外に転がる危険性があれば、フェンスを高くするなどの対応が取れなかったのだろうか。」という、管理責任の問題も考えられます。

下の画像を見てください。
本日の中日新聞から引用します。

子どもの事故で、親の監督責任を認定した裁判例です。
4000万円、3000万円、9500万円支払っています。

特に、自転車での事故は十分起こりうることです。

指導と共に、備えが必要です。
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『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』

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私(校長)は、毎日、朝日・読売・毎日・日経・産経・中日各紙の社説に目を通します。

この習慣は、今朝で連続1,871日目になります。

また、時間があるときには、各紙のコラムにも目を通します。
 
今朝は、すばらしいコラムを見つけました。
中日新聞の中日春秋です。

テーマは、ホセ・ムヒカ元大統領。
私がとても尊敬している人の1人です。

まずは、中日春秋をお読みください。

−−−−−−−以下引用します−−−−−−−−

先月一日まで南米ウルグアイの大統領の座にあったホセ・ムヒカさん(79)は昨年、アラブの富豪から驚くべき申し出を受けた。彼の愛車を百万ドルで譲ってくれと言うのだ

▼その車とは、一九八七年製のフォルクスワーゲン(VW)ビートル。そんな大衆車に億のカネを払おうというのは酔狂な話だが、それは随分と意味深な申し出だった

▼ムヒカさんは大統領になっても公邸には住まず、報酬のほとんどを福祉のために寄付し、郊外の質素な家で妻と二人暮らし。そういう清貧な生き方を象徴するのが、彼の愛車なのだ

▼二〇一二年にムヒカさんが国連の「持続可能な開発会議」で行った演説が、その人生哲学を如実に示している。「貧乏とは、少ししか持っていないことではなく、かぎりなく多くを必要とし、もっともっととほしがることである」

▼そんないにしえの賢人の言葉を引きつつ、彼は訴えた。「水不足や環境の悪化が、いまある危機の原因ではないのです。ほんとうの原因は、わたしたちがめざしてきた幸せの中身にあるのです。見直さなくてはならないのは、わたしたち自身の生き方なのです」(『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』汐文社)

▼ムヒカさんは結局、「車を買う時に、お金を出し合ってくれた友人たちを裏切りたくないから」と愛車を売らなかった。生きている限り、傍らに置いておくそうだ。

−−−−−−−−−引用終わり−−−−−−−−−−

世界で一番貧乏な大統領、ホセ・ムヒカ元大統領は、リオの国際会議で有名な演説を残しています。

そのスピーチは絵本『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』(汐文社)にもなり、その生涯は、映画化されようと撮影が進行しています。

そのスピーチの日本語訳は、ここで紹介されています。
 リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ:ムヒカ大統領のスピーチ (日本語版)
 http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/ 

文部科学省は、持続可能な開発のための教育(ESD:Education for Sustainable Development)を推奨しています。

ホセ・ムヒカ元大統領のスピーチは、ESDに大きなヒントを与えてくれます。

写真の出典
 世界で最も貧しい大統領の生き方・考え方が心に沁みる
  http://matome.naver.jp/odai/2138861428534675801

第3回 ちょこ会−えんぴつの持ち方は?−

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昨日は、3回目のちょこ会が開かれていました。

その中で、えんぴつの持ち方の指導法が話題になっていました。

あなたはどんなふうに持っていますか?

そして周りの人は?

まずは確かめてみてください。



えんぴつの持ち方は?

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第3回 ちょこ会の話題の続きです。

えんぴつの持ち方が話題になっていましたが、あなたの周りの人はどうでしょうか?

私は6年間学校訪問へ行きましたが、鉛筆の持ち方の悪さは目立ちました。
その多くが、上の悪い例。

4割ぐらいいるのではないでしょうか?

次のように持つと直ります。

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 上:http://ameblo.jp/ruby-sl/entry-10540775013.html
 下:http://ameblo.jp/lastpray/entry-11380027835.html



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「始業式の話」の意図は・・・

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始業式では、校長として次の(ような)話をしました。

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今日から、平成27年度の布袋小学校がスタートです。全校生徒799名です。


こんな学校になったらいいなと思うことがあります。

それは、ポカポカ、ワクワク。

ポカポカとは、温かい雰囲気を作り合うということです。
そのために大切なのは、たとえば「あいさつ」。
「おはよう、どうぞ、ありがとう」です。

先生からいただいたプリントを友達に渡すとき、「どうぞ」、もらった人は「ありがとう」。ポカポカしてきます。

ワクワクは、明日が待ち遠しいということです。
明日も学校へ行きたいな。早く先生や友達に会いたいな。
今日の算数の続きを聞きたいな、ということです。

ポカポカ、ワクワク。そんな学校にしていきましょう。


さて、昨日の入学式で、一年生に「学校は決まりや約束を勉強するところ」といいました。
ほてっ子の約束が、「み・そ・あ・じ・は」です。

それでは2年生から6年生の人に聞いてみます。自分が一番得意、できていると思うものに1回だけ手を上げてください。

 【み】身支度を整える(少数)
 【そ】そうじをしっかりする(まあまあ)
 【あ】あいさつができる(かなり多数)
 【じ】時間を守る(まあまあ)
 【は】話をしっかりと聴く(やや少数)

ありがとう。あいさつが多いようですね。
次に、自分ができていないも、がんばらなければならないものに手を上げてください。 

 【み】身支度を整える(かなり多数)
 【そ】そうじをしっかりする(まあまあ)
 【あ】あいさつができる(やや少数)
 【じ】時間を守る(まあまあ)
 【は】話をしっかりと聴く(まあまあ)

ありがとう。

まずは、これをやりましょう。
話す人の目を見て聞きます。
みんなの方を見て話します。
4月、5月でしっかりとできるようにしましょう!

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【話の意図】を解説します。

「ポカポカ・ワクワク」はイメージです。目標でもあります。
これに対して、「あいさつ」は手段です。
目標のために手段があるのです。

「あいさつ」も含めて、温かい関係を作り合うことに努めることが、学び合いにつながり、いじめの撲滅にもつながります。
温かい人間関係づくりが目標であり、それが学級経営の基盤となるのです。

ワクワクは、「児童が通いたくなる学校」のイメージです。
これは、教師側の目標でもあります。

授業を工夫して知的好奇心を高め、「わかる・できる」授業で満足感を与える、そんな授業を目指します。


「み・そ・あ・じ・は」は、子供たちに得意・不得意を尋ねました。

その意図は?

昨年までも、「み・そ・あ・じ・は」については、何度も話を聞いてきたと思います。
大切なことは何度聞いても良いのですが、「またか・・・」と思われたら残念です。

そこで、自分で自分を評価し、その結果を挙手することを求めたのです。

これにより「またか・・・」感はなくなります。
さらに、児童が自己を振り返り、私も現状を把握することができます。
1年生や転入生にも印象に残り、明日へつながるのです。

そして最後に、最重点目標を述べました。

「話す人の目を見て聞きます。みんなの方を見て話します。」

2ヶ月でできることを目指します。
授業参観におみえの際は、この点にご注目ください!

入学式を終えての雑感です・・・

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4月1日に校長として赴任して、最初の大仕事は、着任式・入学式の話です。
私は、以前、吹奏楽の指揮をしていたために、観衆が多いほど燃えるタイプです。
入学式も、全員がしっかりと話を聞いてくれるので、私にとってとても幸せな時間でした。

気づいた人いるかな?
私が何も見ないで、聞く人だけを見ながら語りかけたことを・・・・

何も見ないのは、見るものを作らないからです。

実は、私は紙の原稿を作りません。原稿を作ると、つい下を向いてしまうからです。
頭の中だけで組み立てて臨むのです。

今年の布袋小学校の重点目標は、「聞く人を見て話す、話す人を見て聞く」です。
まずは、自分が範を見せなければなりません。

幸い、噛むことも詰まることもなく終えることができました。
まずは、ほっとしています。


先述のように、私は布袋地区で17年間(昭和57年〜平成10年)勤務しました。

そのために、136名の新入生の保護者の中にも、知っている人がたくさんいました。
声を交わした人だけで20人ぐらいかな・・・。
その他にも、見覚えのある人が10人以上いました。

「先生、いっしょに写真撮ってください。同級生に回します!」
などと、何回も写真を撮ってもらいました。

教師って、良いものだと思います。


この行事のために、多くの人の働きがあります。

朝早くから準備をしている先生、黙々と掃除をしている先生・・・。
頭が下がります。

写真の花文字だって、多くの人の協力のおかげです。

そして、後片付けの6年生の姿。
黙々と動く姿に、6年生としての自覚を感じました。

今日一日を通して、とても温かい気持ちになることができました。

明日も良い日になることを願って・・・・

入学式の校長式辞

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校長式辞(校長先生のお話)として、次のような話をしました。

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『136名の新入生のみなさん、入学おめでとう。

(新入生:ありがとうございます)

みなさんは、今日から江南市立布袋小学校の1年生です。
さて、学校は何をするところでしょうか。

(新入生:勉強するところです。)

そう、学校は、勉強するところです。
大人になるためのいろいろな勉強をします。また、気持ちよく過ごすことが出来るための、決まりや約束を勉強します。

そしてもう一つ。

学校はつくるところです。
たくましい心や体をつくるところです。
たくさんの友達を作るところです。
そして、中学校までの9年間をかけて、将来の夢をつくり、育てていくところです。

たくさん勉強して、たくさんのものをつくりましょう。


保護者のみなさま、お子さまの入学に際し、お喜び申し上げます。
本日より6年間、責任をもってお子さんをお預かりいたします。
ただ、教育は学校だけでできるものではありません。地域の力を借りながら、学校と家庭で取り組むものです。 
知・徳・体のバランスのとれた成長のために、ご協力を、どうかよろしくお願いいたします。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 
この後、担任を発表をしました。

今日が、思いで深い日になりますように・・・

続 時代の先を読む力 −2−

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入学式を無事終えました。
壇上に立つと、伝統の重みを感じます。
 
伝統をひもとき、新たな伝統を築きあげる人、それが時代の先を読む人です。
その人物を紹介しています。

愛知県の製造品出荷額は40兆円を越え、36年連続全国第1位。(画像上)
2位の倍以上です。

その原因の一つが、第7代尾張藩主 徳川宗春の積極政策。

吉宗による倹約令で景気が停滞していた頃、尾張だけが好景気で日本中から職人が職を求めて集まってきたのです。

特に、東照宮祭で使用される山車のからくり人形については、全国から集まった職人が技を競い合いました。それが、尾張各地にも広まっていったのです。

犬山祭の車山もその一つです。

からくり人形というのは、ぜんまい、歯車、滑車、カム等を組み合わせて動かします。
このノウハウが、機織り機にもいかされました。それが豊田式自動織機に受け継がれ、トヨタ自動車へと発展しました。

時計や航空機、鉄道車輌も同様です。このことは、次回に触れます。

ものづくり立国・愛知は、徳川宗春によってもたらされたのです。

歴史的事実としては、宗春は吉宗によって謹慎を命じられ、歴史の表舞台からは姿を消します。
しかし、その影響は今もはかりしれません。宗春の、時代の先を読む力により、愛知の繁栄があるのです。

この後、この争いは田沼意次 VS 松平定信 に受け継がれます。
田沼意次は宗春同様、重商主義、積極経済の道を選択します。
それに対して、松平定信が緊縮財政、風紀取締りの道を歩みます。

歴史は繰り返すのです。

画像の出典を紹介します。

上:「NPO法人 宗春ロマン隊」
 宗春を応援する人々によるサイトです。
  http://muneharuroman.web.fc2.com/muneharu.html

中:「日本経済のネタ帳」
   社会科教師には定番の統計サイトです。
  http://jp.ecodb.net/ranking/C3401.html

下:「日本史探究スペシャル 徳川吉宗 VS 徳川宗春」
   BS−TBSの番組サイトです。2人の攻防が書かれています。
 http://www.bs-tbs.co.jp/rival/bknm/23.html 

続 時代の先を読む力

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 愛知県の製造品出荷額は40兆円を越え、36年連続全国第1位です。しかも2位以下を大きく引き離して・・・。
 これには、犬山祭が関係しているとしたら?

 昨晩、犬山祭へ行って来ました。
 ご存じのように、犬山祭は、針綱神社の祭礼です。
 1635年(寛永12年)犬山城主・成瀬隼人公の奨励で始まったといわれていますが、当時は車山(やま)のない小規模なものでした。
 この車山は、18世紀中頃までにどの町にもできたといわれていますので、おそらく1730年に第七代尾張藩主となった徳川宗春の影響が考えられます。
 それもそのはず。成瀬家は尾張徳川家の御附家老だからです。 

 当時は、享保の改革で有名な吉宗の緊縮財政政策。ぜいたくを戒め、みずから質素倹約に努めました。

 それに対抗したのが、第7代尾張藩主 徳川宗春です。
 積極経済で景気回復、産業振興に務めました。


Wikipediaの「宗春の特異な政策」には次のように書かれています。引用します。 

・形式よりも中身を大切にした(例:仁・「まこと」を重視する 温知政要・條々二十一箇条 等)
・意味のある祭りを盛んにし、奨励した(例:東照宮祭・名古屋祇園祭(天王)・盆踊り 等)
・人道に反する祭りは禁止した(例:梁川の正月の水掛け、国府宮の裸祭厄男 等)
・奪い合うことや義に合わぬことを禁止した(例:條々二十一箇条 等)
・自分の身にあった遊びは大切であるとした(例:遊廓・芝居・見世物 等)
・法律や規制は少ないほうが良いとした(例:規制緩和 温知政要・條々二十一箇条 等)
・簡単なミスの訴状等の書類を差し戻さず受け入れるように指示した(例:條々二十一箇条 等)
・衣服・家・持ち物等は禁制のある物以外は自由にした(例:條々二十一箇条 等)
・ファッションリーダーを自ら担った(例:申楽(能・狂言)・歌舞伎・朝鮮通信使等の衣装 等)
・心を込めた贈答・饗応を大切にした(例:條々二十一箇条 等)
・庶民と上級藩士が出会う場を提供した(例:御下屋敷や市谷邸のお披露目 等)
・商人との対話を積極的にした(例:岐阜巡行・乾御殿や御下屋敷滞在時)
・六斎市の奨励(歴代藩主の中で、許可した例が突出して多い)
・庶民が喜ぶことをした(例:奴振り・白牛・漆黒の馬と衣装・派手な衣装)
・社会的な弱者を大切にした(例:女性・子ども・身分の低い者の保護)
・死刑をしなかった
・マニフェストであり家訓でもある『温知政要』を執筆し、上級家臣に配布した

 いかがですか?
 この時代にしてはすごい政策だと思いませんか?

特に「意味のある祭りを盛んにし、奨励した」で、享保の改革で職をなくした多くのからくり人形師、宮大工等の職人が尾張に集まってきたのです。

 それが今の産業にどんな関係が?

 長くなってきましたね。続きは明日・・・

時代の先を読む力

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 昨日は、岩倉桜まつりへ行ってきました。
 名残を惜しむように、多くの人が訪れていました。

五条川の桜というと、忘れられないエピソードがあります。
 五条川の桜は、大口町から、江南市、岩倉市にかけて植えられています。
 大口町内には、五条川の両岸、約7kmにわたって、2千本のソメイヨシノが植えられています。
 桜を植えたのが、故社本悦郎氏です。昭和28年のことです。
 
 当初は、建設局の河川課長に断られたり、田が日陰になると困る農家の人に苗木を抜かれたりと、困難の連続だったそうです。
そのなかで、人々を説得し、自費で植えていったのです。

 悦郎氏は昭和26年に村長に、そして37年に初代町長となりました。
 そこで行ったのが企業誘致。
 近隣市町が当時成長産業であった繊維工場の誘致に特化したのに対して、社本氏は幅広い業種を招聘したのです。
 今となってはそれが正解でした。財政力指数が常に1.0を越える、今の大口町の基礎をつくったのでした。
 
 桜並木といい、企業誘致といい、時代の先を読む力のすごさを感じます。

 教育も同じ。今の教育の成果が出るのは、子供達が社会の推進者となる20年後、30年後です。先を見据えて、指導にあたっていきたいと考えます。

この話を特集した新聞記事(写真下)をここで見ることが出来ます。
http://www.town.oguchi.aichi.jp/secure/5437/sakura1953.pdf

布袋神社(表忠園)の桜1

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 今日の布袋神社(表忠園)の桜です。
 久しぶりに見ることができました。

布袋神社(表忠園)の桜2

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 水たまりの鳥居、わかりますか?
 隣接する青木側の桜も見事です。

 「校長日記」では、こうして地域の史跡、見所等も紹介していきます。

あなたも社楽人

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今日は絶好のお花見日和となりました。

このホームページの「校長日記」は、校長としての思いなどを発信していくコーナーです。

このほかに、土井謙次個人としての行動記録や資料の書庫、教育関係ニュースなどを発信しているブログがあります。

それが、「あなたも社楽人」です。

毎日、3〜4件アップしており、今日で、2,211日連続更新の記録を続けています。

よかったらのぞいてみてください。

こちらから入ることができます。
 http://blog.goo.ne.jp/syaraku0812

ちょこ会をのぞいてみました!

 昨夕、新年度に入って2回めのちょこ会をのぞいてみました。

 「ちょこ会」とは、「ちょこっと現職教育の会」の略称で、時間外に、有志が集まって学び合う勉強会のことです。

 私も、昭和の時代、布袋小学校にいた頃にも、若者が集まって勉強会をしていました。
その頃を思い出しました。

 成長しつつある企業では、どこでもOJTが行われています。
 OJT(On-the-Job Training、オン・ザ・ジョブトレーニング)とは、企業内で行われる企業内教育であり、教育訓練の手法のひとつです。

 教員社会でも、法定研修である初任者研修、5年経験者研修、10年経験者研修のほかに、職種別、教科・領域別の研修などが行われています。

 また、それぞれの学校でも勤務時間内に「現職教育」とよばれる研修会が行われています。
 研究授業を参加し、その後に研究協議を行うことを中心に、講師を招いての研修、実技講習などが行われています。
 最近では、市教育委員会が行う研修会も増え、内容も充実しています。

 これらはもちろん価値のあることですが、先輩・後輩といった職場の同僚と日頃の悩みについて語り合ったり、先輩が後輩に経験を伝えたりすることは、同等の価値を持っていると思います。
 時間外ではありますので無理はいけませんが、見守っていきたいと考えています。
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学校行事
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