最新更新日:2024/04/28 | |
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6年生 中学校入学説明会代表生徒から中学校生活についての説明や部活動の紹介がありました。その後、中学校の授業を見学しました。どの学級の授業も落ち着いていて、中学生の授業に取り組む姿勢は、6年生のよき手本でした。 部活動見学では、いろいろな部を少しずつ見学していました。 布袋中学校の先生方、そして生徒のみなさん、ありがとうございました。 今日の給食は・・・特集は「天むす」天むす、味噌おでん、白菜のおかか和え、ご飯、牛乳 センターからのメッセージは 愛知県では、天むすも味噌おでんも昔から慣れ親しんだ料理です。全国的にも知られていますが、どこでも食べられるわけではなく、地域独特の料理です。 今日の特集は天むすです。 「天むすも・・昔から慣れ親しんだ料理です」とありますが、私が子供の頃は天むすはありませんでした。 それもそのはず。 Wikipediaによれば、 発祥は1950年代に、三重県津市にある天ぷら定食店「千寿」の賄い料理として考案されたのが始まりです。 1980年(昭和55年)、名古屋市中区の藤森時計店が不景気のあおりを受け廃業し、藤森夫婦は早速「千寿」を訪れ水谷夫妻に天むすの作り方を伝授してもらえないかと願い出、何度も断られながら、天むすを世間に広めないことを条件に、作り方の伝授と暖簾分けの承諾を得ました。 しかし、天むす自体の知名度がなく、初めは全然売れませんでした。 しかし1982年(昭和57年)になり、テレビで紹介され、また、笑福亭鶴瓶が大量に購入して持ち込み、東京のテレビ局関係者の間でも評判となり、マスコミもこぞって話題に取り上げるようになっていき、名古屋名物として全国的に知名度を上げていったのです。 天むすの歴史は、まだ浅いのです。 今日の長放課の運動場は・・・いつもの遊びに加えて、フラフープの人気が高くなってきました。 私(校長)は、一輪車などはすぐに乗れるようになったのですが、フラフープがどうも苦手です。 【校長日記】建築物から歴史がわかる講師は、中商株式会社代表取締役 中嶋英貴さんです。 テーマは、「(建築)技術から歴史を学ぶ」 私は歴史が大好きで、暇があればYouTubeで歴史物の動画を見たり、本を読んだりしています。 しかし昨日の話は、これまでとは全く別の歴史観でした。 (M中学校のI校長先生が飛びつきそうな話題です。) 中嶋さんは、全国のいろいろな文化財の修繕をしています。特に、左官(建物の壁や床、土塀、竈など)が中心です。 これまで手がけた文化財は、日光東照宮や松本城、犬山城、彦根城といった国宝はじめ、広島城、熊本城、五稜郭、ハリスト教会、道後温泉、神戸 風見鶏の館、大石寺、総持寺など104箇所。 その文化財の修復は、使われている素材をある程度使って、当時の工法で建築当時を再現します。 例えば、土塀の土は、当時の土を7,8割使用して、新しい土を足します。 従って、工事前にいろいろと調査を行い、解体時にも、常にどこで産出された原材料かも調べながら進めます。 文化財ができた当時は、重機もトラックもありません。すべて人力、または牛馬車程度です。原材料は、その周囲から調達するのが一般的です。 特に城郭が乱立した戦国時代には、他国のものを使うわけにはいけません。尾張なら、尾張の国の中で調達できるものを使います。 従って、全国の文化財を解体すると、その地方、地形、文化、産業等に合った方法でつくられていることがわかるのです。 また、他の地方のが使われていることもあります。そこからは、交易が行われていたことがわかるのです。 だから、建築技術は歴史そのものなのです。 文書や学者の推測ではなく、建物は現にそこにあるのです。確たる歴史の証拠です。 地面を掘って、そこから歴史を推し量る考古学と同じ。いや、考古学以上に具体的です。 例えば、壁に塗る漆喰には、砂が混ざっています。その砂はどこで産出したものか? LIXIL(旧INAX)に持っていくと、調べてくれるのです。14万円かかりますが・・・。 備中松山城は、標高430mの臥牛山頂上付近に建つ国の重要文化財で、現存する山城としては最も高い所にある天守です。 そこまで、毎日資材を運ぶためにどうしたか? 運搬用のロープウェーを作ったのですが、それだけでも2千万円かかりました。 松江城がどうして国宝に指定されたのか? 他のお寺の修復中に、偶然棟札(建物の建築・修築の記録・記念として、棟木・梁など建物内部の高所に取り付けた札)が見つかり、そのくぎ孔と松江城のくぎ孔との位置が一致したのです。そこで、松江城がいつ誰が作ったのかが正確にわかり、文化財としての価値が確定したのです。 などなど、普通では聞くことのできない裏話は特に興味深いものでした。 その他、伊能忠敬の家、五島列島の頭ケ島天主堂など、全国各所の建築・修復にあたった時の話が登場しました。 文献から得た知識からの推論ではなく、現物を解体することで歴史を見るという、貴重な体験談でした。 今日のインフルエンザでの欠席者かぜ・発熱がやや増え、まだまだ注意が必要です。 マスクの着用、うがい、手洗いに努めましょう。 保健所別インフルエンザ報告数(2017年第3週)ここから http://www.pref.aichi.jp/eiseiken/2f/influ_map_new.html 本校でも13人の児童が罹患しています。 現在、“感染性胃腸炎”警報および“インフルエンザ警報が発令されています。 マスクを着用し、うがい、手洗いに励みましょう。 東陸PTA愛知大会 シンボルマーク募集!大会シンボルマーク デザイン大募集! 児童生徒対象ですが、保護者との共同作品も可能です。 募集要項、応募用紙は、ここからダウンロードできます。 http://www.aichi-syoucyuu-p.com/symbolmark.html 応募締め切りは3月31日です。 ぜひ参加してください。 MOA美術館 美術セミナ−MOA美術館は、現在改修のための休館中で、学校などを巡回してセミナーを開催しています。 昨日は、歌川広重の「東海道五十三次」から「蒲原」「庄野」「四日市」など5点、吉田博の版画作品「弘前城」「雨後の夕」など5点でした。 見て回り好きな絵画を選んだあと、その絵画についての解説を伺いました。 本物に触れた貴重な機会でした。 校長先生との会食会いよいよ、卒業式までのカウントダウンが始まったような感じがします。 今日は、6年間の一番の思い出や、中学校で入りたい部活動などについて尋ねました。 やはり修学旅行が多いのですが、すべて旅館での思い出でした。 宿泊するというのは、思い出作りには最高なのでしょうか。 なかには「たくさん友達ができたこと」という子もいました。 趣味の中には「恋ダンス」がありました。 「すごい!」といったら、「みんな踊れます」と返ってきました。 さすが! いつもお世話になっています!今日は配膳室を見てもらいました。 学校は、多くの方にお世話になっているのです。 今日の給食は・・・特集は「ひきずり」レンコンハンバーグの照焼ソース、ひきずり、守口大根のキンピラ、まゆ団子、ご飯、牛乳 センターからのメッセージは 江南市は、昔養蚕が盛んだったので、これにちなみまゆの形をした団子を出します。市内の和菓子屋さんが、約10000個の団子を手作りしてくれました。 今日の特集はひきずりです。 名古屋では、すき焼きのことを「ひきずり」と言います。すき焼きなべの上で肉をひきずるようにして食べたことから、「ひきずり」と呼ばれるようになりました。大みそかにはひきずりを食べて、年の終わりまで引きずってきたいらないものを、その年のうちに片づけてから新年をむかえるという習慣がありました。 すき焼きには牛肉を使いますが、愛知県では名古屋コーチンなどニワトリの飼育がさかんなので、ひきずりにもとり肉が使われます。ひきずりに入れる「越津(こしづ)ネギ」は、江戸時代(えどじだい)に今の津島市越津町(つしましこしづちょう)で栽培(さいばい)されていたネギです。葉の青い部分もやわらかいのでおいしく食べることができますが、今では少ししか作られていません。 記事の出典は、農林水産省 http://www.maff.go.jp/j/syokuiku/kodomo_navi/cuisine/cuisine3_6.html 今日の長放課の運動場は・・・運動週間が定着し、多くの児童が運動場に出ています。 子どもは外で遊ぶのが自然ですね。 今日のインフルエンザでの欠席者かぜ・発熱が減っていますが、まだまだ注意が必要です。 マスクの着用、うがい、手洗いに努めましょう。 「見える化」の大切さその横には、「きれいにそろえよう」と書かれた、ぞうきんが整頓された写真が掲示してあります。(写真左) さて、実際のぞうきんは? きれいにそろえられていました。(写真右) 目標を「見える化」すると、それを真似ようとしてできるようになるのです。 「見える化」は、大切なポイントです。 今日は教育相談4日目担任の先生と1対1でお話ができる貴重な機会です。 この機会を利用して、いろいろと教えてくださいね。 写真は昨日の様子です。 本日締め切り 江南市放課後子ども教室 参加申込申込みは本日26日で締め切ります。 希望される方は、必ず本日中にご提出ください。 (申込み多数の場合は抽選となります。) 今シーズン最高の賑わいでした毎週水曜日は、給食のあとの掃除はなくし、縦割り活動や仲良し集会などに充てています。 今日は、何もイベントのない日。すなわち、ロング放課なのです。 晴れた日で、しかも温かく、ロングの放課という好条件が重なり、今日の運動場は、全校の8割(適当ですが・・・)ぐらいの人が遊んでいる気がしました。 先生もたくさん出ていました。 まさに、運動週間にふさわしい日となりました。 今日の給食は・・・特集は「ご飯」コロッケ、千切りキャベツのサラダ、トマトシチュー、ロールパン、牛乳 センターからのメッセージは 戦後はアメリカなどから小麦をいただいてパンを作っていたので、給食の主食は、毎日パンでした。給食でご飯が出るようになったのは、昭和51年からです。 ここで「昭和51年から」というのを見て、あれっ?と思った方もいるかもしれません。 この昭和51年というのは、「米飯給食の実施について」という通達が出された年です。 その前文には次のようにあります。 学校給食は、従来パンを中心とした小麦粉色型態により実施されてきたところであるが、昭和五一年二月一〇日文部省令第五号をもって「学校給食法施行規則等の一部を改正する省令」が公布され、米飯を学校給食制度上に明確に位置付けることとされました。 ついては、米飯給食の導入に当たり左記事項に留意の上その円滑な実施を期せられるよう願います。また、米穀の供給については、別添「学校給食用米穀取扱要綱」により実施することとするので御承知ください。 そして一 米飯給食を導入するに当たっての基本的な考え方 学校給食への米飯導入は、食事内容の多様化を図り、栄養に配慮した米飯の正しい食習慣を身につけさす見地から教育上有意義であるので、その普及を図るものとすること。 と続きます。 実は、それまでにも給食には時々ご飯は出ていました。 私(校長)は、中学校2年生の時から給食が始まりました。それまでは中学校は弁当でした。 昭和47年頃の給食に、時々ビニールご飯が出されました。 外側はゆでられて糊みたいで、中はやわらかく、粒のはっきりしないごはんでした。 たいていカレーとセットでしたが、当時は珍しさもありおいしいと思っていました。 今でいうと、防災訓練で食べる非常食に似ています。 今では、ほとんどが米飯。 当時と比べると、ずいぶんおいしくなりました。 運動週間今日の長放課(2時間目後の休み時間)の様子です。 児童は、運動場や西運動場など、いろんな所で遊んでいます。 5分前のアナウンスが入ると一斉に走って戻る姿は、時間を守ろうとする姿勢が表れています。 今日のインフルエンザでの欠席者しかし、かぜ・発熱が増えており、感染している可能性もあります。 まだまだ注意が必要です。 マスクの着用、うがい、手洗いに努めましょう。 |
江南市立布袋小学校
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