日中は汗をかくようになってきました。水分をこまめにとりながら、学習や運動にしっかりととりくみましょう。

【校長日記】 木曽川堤の桜

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今日は、痛めた膝のリハビリを兼ねたトレーニングへ行ってきました。
トレーニング場は、一宮市総合体育館です。

体育館の前の木曽川堤に咲くエドヒガン桜は、国の名勝及び天然記念物です。
今日は見事に咲いていました。

シダレなどはまだまだで、1週間後が見ごろでしょうか…。

タワーパーク内も、いろいろな花が楽しめます。

ぜひお出かけください。


第69回 卒業式 校長式辞

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第69回卒業式の式辞原稿を紹介します。
(実際には、アドリブも入りますので若干異なります。)

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式 辞

 南の風も暖かさを増し、校庭のソメイヨシノもいよいよ開花を迎える今日のこの佳き日に、本校第六十九回卒業生として、巣立ちの喜びを迎えられた百二十名の皆さん、卒業おめでとう。


また、本日の卒業式にご臨席賜り、ご光彩を添えていただきました江南市長様はじめ、ご来賓の皆様には、高いところからではございますが厚く御礼申し上げます。


 保護者の皆様方、お子様のご卒業おめでとうございます。こうして立派に成長された姿を前にして、今、様々な思い出が心に浮かんでいることと存じます。


 さて、卒業生の皆さん。

 皆さんは、この六年間、勉強や運動にはげみ、心と体を鍛えてきました。特に、皆さんと出会ってからのこの一年は、皆さんの活躍から多くの感動をもらいました。

 力と技で会場一杯の拍手と歓声を浴びた運動会、心を一つにして演じたほてっこ発表会、下級生を思いやり、最上級生としての自覚をもって活動した委員会や登下校、どの場面をとっても、まじめに、精一杯取り組んだ姿が目に浮かんできます。皆さんの成長に、心から賞賛の拍手を送りたいと思います。 

 
 さて、これから、新しい世界に旅立つ皆さんに、私が尊敬するベートヴェンのお話をして、はなむけの言葉にしたいと思います。

 みなさんもきっと聴いたことがある彼の交響曲第九番第四楽章の一部を、バーンスタインの指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の演奏で少しだけ聴いてください。

( 交響曲 第九番「第四楽章」ON 40秒後に )

 ベートーヴェンは、三十歳頃から耳が聞こえなくなります。
 作曲家で、耳が聞こえないのは致命的です。
 彼はたいへん苦しみました。絶望にうちひしがれ、二人の弟に遺書(遺言)まで残しています。しかし、その遺書とは、それまでの弱い自分から脱するための遺書であったと、私は思っています。
 なぜなら、彼はそれ以後、まるで生まれ変わったかのように、精力的に、英雄、運命、田園とよばれる交響曲など、多くの傑作を、次々と作っていきます。
 この第九番を作った頃の彼は五十三歳。耳は全く聞こえません。数々の苦しみを乗り越えた末にたどり着いた気持ちを、この喜びの歌で表したのでした。

( 交響曲 第九番「第四楽章」 OFF )

( 下左の写真を掲げて )

 十二月の人権講演会でお話を伺った杉浦誠司さんは、いじめられて苦しかった頃に、もう一回だけ努力してみよう、もう一日だけがんばってみようとして、ついにいじめの壁を乗り越えました。そして、その経験を世に伝えようとして、文字職人を始められました。

( 下右の写真を掲げて )
 
 一月の学校保健安全委員会でお話を伺った佐藤逸代さんは、最愛のお嬢さんを交通事故で亡くされました。その時の地獄の苦しみを乗り越えるために、人々に、遺族の苦しみを知ってもらおうと、そして、命の大切さを訴えようと、交通事故被害者遺族の会を作り、講演活動を始められました。

 みなさんは、これまで愛されて育ち、何不自由なく暮らしてきた人がほとんどではないでしょうか。しかし、これからは、おそらく楽なことばかりではありません。時には、つまずくこともあるでしょう。

 つまずくことは、残念なことではありますが、悪いことだとは思いません。昨日の修了式でも話しましたが、人はつらい時にこそ、しっかりと根を伸ばそうとしているのです。つまづくことではなく、そこから、立ち直ろうとしないことがいけないのです。

 もしつらいことに出会ったら、ベートーヴェンが自ら生まれ変わったように、杉浦さんや佐藤さんが新しい何かを求めて行動したように、明日を信じて、自分の頭で考え、自分の足で歩き出してください。きっと、太くて長い根が伸びて、立派な花を咲かせることができるでしょう。
 
 最後になりましたが、今日家へ帰ったら、ぜひ家族の人に感謝の気持ちを伝えてください。小さい頃から、ひたすら君たちの成長を願い、今日の日を心待ちにしてこられました。心をこめて「ありがとう」を言ってほしいと思います。

 笑顔と活力に満ちたみなさんの明日に、幸多かれと祈り、式辞といたします。

  平成二十八年三月十八日
     江南市立布袋小学校長
        土 井 謙 次
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【校長日記】東日本大震災から5年 −最終回−

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日本人を元気にするちょっといい話の最終回です。

毎朝行くスタバで5ドルだしたらお釣りに5ドル返ってきた。間違えてるよって指摘したら、いいの元気出して皆から、と。なんて優しいアメリカ人たち。そのラテはextremly hotだった。



今日、募金箱に金髪にピアスの若い兄ちゃんが万札数枚入れていた。そしてその友人に「ゲームなんていつでも買えるからな」と言っていたのが聞こえて私含め周りの人達も募金していた。人は見た目じゃないことを実感した。そんなお昼でした。



亡くなった母が言っていた言葉を思い出す「人は奪い合えば足りないが分け合うと余る」被災者で実践されていたこの国の東北関東地震被災者の方々を日本を誇りに思います、頑張ってください。


外国人から見た地震災害の反応。物が散乱しているスーパーで、落ちているものを律儀に拾い、そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。運転再開した電車で混んでるのに妊婦に席を譲るお年寄り。この光景を見て外国人は絶句したようだ。本当だろう、この話。すごいよ日本。



朝日新聞より。中国メディアで日本民衆の冷静さに感慨といった記事相次ぐ。普段は日本に厳しい論調だが、「地震後の東京では、男性が女性を助け、ゴミ一つ落ちてない」と紹介。中国中央テレビは被災地に中国語案内があることを紹介。「外国人にも配慮をする日本に、とても感動した」と締めくくる。



日本人ってバカだよな。こんなときに暴動も起こさず 真面目に規律守ってるんだ。自分も辛いだろうに他人を気遣って 手を差し伸べて、暴言を吐かれても仕事を放り出すこともせずに 復旧・救命活動して。本当にバカばっかりだ。 日本人で良かった。 ほんとに、よかった。



地震があった日、イタリアの友人から連絡があった。 彼は、僕らイタリア人は日本人を本当に尊敬しているんだ。 日本人は忍耐強く、賢明で、とても強いから。 いつも困難を乗り越えてきただろう? だからきっと乗りきれる!頑張れ、応援しているよ、と。 その日の夜、彼のfacebookのプロフィールの写真は いつもの彼が写っているものではなく日の丸になってた。


いかがでしたか? 実は、まだまだありますよ。

これらを読み返して、日本、そして日本人を見直す機会になればと思います。

 ここにまとめてありますのでご覧ください。
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【校長日記】東日本大震災から5年 −6−

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東日本大震災から5年たったことにちなみ、震災当時の日本人を元気にするちょっといい話の続きです。

3月20日午後、100名以上の人々が四川省の赤十字会を訪れ、チャリティ募金に参加した。中国の四川で発生した「四川大地震」を経験した四川の人々は、他人事とは思えないと話す。四川赤十字会は震災の状況を把握し、日本の震災地区への義捐金募集をスタートさせ、国民からの寄付を募った。 高校生の賈明輝さんは「私たちはマグニチュード8の地震を経験している。日本とは一衣帯水の隣国でもあり、自分の身に起きたように感じて、何かしたいと思った」と話していた。「四川大地震」で家族を亡くした謝国泰さんは募金の情報を聞くと、20名あまりの医療関係者を連れてやってきた。「いくらでもいい、これは全て、私たちの病院に勤める400名以上の職員たちの気持ちだ。日本の人々が少しでも早く自分の家庭を取り戻せるよう、助けになれば良いと思う」と話した。



クロアチアの反政府デモ隊が、日本大使館前で停止し黙祷

クロアチアでは反政府活動が活発化しており、インターネットを通じて活動への参加が呼びかけられている。2月の後半から繰り返しデモが行われ、この日も5000人近くが横断幕を掲げ、太鼓を叩きながらシュプレヒコールを展開したのだ。 しかし、日の丸の掲げられた日本大使館前で、突然行進は停止。後続からは「なぜ、止まるんだ!」との声が上がったものの、参加者らはすぐに事態を把握し、大使館前にろうそくを灯して被災者に向けて黙祷を捧げた。 この様子は地元メディアが報じるとともに、Youtubeでも公開されている。ネットユーザーからは、「とても印象的な場面だ」、「感動的だ」と、評価する声が上がっている。

 http://matome.naver.jp/odai/2130008285448154801?page=2より



モンゴル在住の日本人です。モンゴル国税関全職員が今回の震災義援金のために、給料2日分を募金することをみんなで決定したんだそうです。これまで20年間の日本政府からの援助協力に対する恩返しであり、友情のあかしを示すのは今だ!モンゴル国は燃えてます



ただいま職場は停電中。皆、それぞれの立場で右往左往して黙々と対応してます。自分が今出来ることを一生懸命やっていると思う。命懸けて現場で頑張ってくれてる人達がいて、その家族がいて、そのずっと後方で守られてる私達にも頑張れることはある。


天皇皇后両陛下は16日、大きな被害を受けた岩手、宮城、福島、茨城、千葉の5県に見舞金を贈った。宮内庁によると「計画停電の困難を国民と分かち合いたい」と、住まいの皇居・御所で連日2時間電力を止めている。


さっきホームレス2人組が100円しかないけどって言って募金してた。



昨日の停電の時に慌ててコンビニに行ったら、みんな争うこともなく黙ってきちんとレジに並んで、小学生は真っ暗な店内に「お化け屋敷だーっ!」と笑顔ではしゃぎ、女子高生が携帯で老人の足下を照らし、店員さんが「頑張ってね」の声に涙しながら電卓でレジをしていて、ヒトって強いな、と実感した。


サンフランシスコから。本日学校にいったら、各国様々な人が『日本は大丈夫か?何かできることはないか?』と真っ先に僕に話しかけてくれ、涙が出ました。 世界中が日本を応援しています

明日に続きます。

よかったら、ブログもご覧ください。

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【校長日記】 6年生最後の朝礼

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今週はいよいよ卒業式。

今日の朝礼は、6年生最後になります。

そこで、今年度行った26回の朝礼を順に振り返りました。

朝礼の内容は、すべてこの学校HPに載っていますので、ご覧ください。

最後に次のように言いました。

いくつ覚えていましたか?

覚えていたものは、この先どこかで、きっと自分の力になるのです。

6年生の皆さん。1年間、しっかりと朝礼の話を聴いてくれてありがとう。


見ていただいたみなさんにも感謝いたします。

【校長日記】東日本大震災から5年 −5−

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東日本大震災の時に実際にあった、日本人を元気にするちょっといい話の続きです。

バイト先に若いお兄さんたちが軍団でお酒を買いに来たんだけど、その中の一人が 「やべえ、オレお酒のためにしかお金持ってきてないから募金できん。ちょっとこれ買うのやめるわ」って言って商品返品してそのお金全部募金してた。 お友達も続々と募金しててすごい感動した。すごいよ!


ロンドンにいる友達がお財布をなくした時に、お金をかしてくれた中国人の友達がお金は返さなくていいから日本の為に募金してって言ってくれました!!四川が地震の時に日本の救援隊が助けてくれたから恩返しがしたいって。感動!!!ありがとう。

出典 http://matome.naver.jp/odai/2130008285448154801 


夫の最後の贈り物

気仙沼周辺で配送作業中に津波にのまれたらしいと、夫の上司から知らされた。子供が眠ったのを見計らい、遺体安置所に向かった。目の前のひつぎの中で眠っているのは、間違いなく夫だった。涙があふれ出た。遺体に何か着せてやろうと、倒壊を免れた自宅に戻り、会社から引き取った夫の荷物にふと目がいった。指輪が入っていた。以前、「たまには指輪とか欲しいけど、パパはプレゼントくれる人じゃないもんね」と、意地悪を言ったのを思い出した。ホワイトデーのプレゼントに、こっそり買ってくれていたらしい。夫の顔についた泥をぬぐい、優しくキスをした。

出典 夫の最後の贈り物、指輪に誓う「娘と強く」 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)


被災地から救出された80歳過ぎであろう男性。笑顔で「大丈夫!大丈夫!チリ津波も体験してるし、再建しましょう!」と。悲しみの声を聞き出そうと食い下がる記者に「そんなこと言っても仕方ないでしょ」と笑顔。隣にいたご婦人も「みっともない格好撮らないで」と。日本を築いてきた方達は凛々しい。



停電すると、それを直す人がいて、 断水すると、それを直す人がいて、 原発で事故が起こると、それを直しに行く人がいる。 勝手に復旧してるわけじゃない。 俺らが室内でマダカナーとか言っている間クソ寒い中死ぬ気で頑張ってくれてる人がいる。

出典 http://matome.naver.jp/odai/2130008285448154801?page=2

明日に続きます。


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【校長日記】東日本大震災から5年 −4−

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日本人を元気にするちょっといい話の続きです。

ディズニーランドでの出来事


ディズニーランドでは、ショップのお菓子なども配給された。 ちょっと派手目な女子高生たちが必要以上にたくさんもらってて「何だ?」って一瞬思ったけど、その後その子たちが、避難所の子供たちにお菓子を配っていたところ見て感動。 子供連れは動けない状況だったから、本当にありがたい心配りだった
出典 http://esayyou.blog102.fc2.com/blog-entry-85.html 



ホームで待ちくたびれていたら、ホームレスの人達が寒いから敷けって段ボールをくれた。 いつも私達は横目で流してるのに。あたたかいです。
出典 http://ameblo.jp/mfc21167/entry-10829392212.html



日本大震災で被災したサッカーJ1仙台の育成組織に所属する藤沢恭史朗選手

同クラブによると、藤沢選手は東松島市の自宅付近で津波に遭遇。 流されないように耐えていたところで流されてきた母子を発見し、右腕で子ども、左腕で母親をつかみ、近くにあった軽トラックの屋根に上ったという。 その後、胸まで浸水してきたものの、子どもを 肩車し、左腕で母親をかかえたままの体勢で耐え、徐々に水かさが減ったため、無事に2人を避難所へ送り届けて自らも避難した。
出典 http://matome.naver.jp/odai/2130041755351640801



NHKの男性アナウンサーが被災状況や現況を淡々と読み上げる中、「ストレスで母乳が出なくなった母親が夜通しスパーの開店待ちの列に並んでミルクが手に入った」と紹介後、絶句、沈黙が流れ、放送事故のようになった。 すぐに立ち直ったけど泣いているのがわかった。目頭が熱くなった。

出典 http://29da.blog33.fc2.com/blog-entry-114.html



2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。 少女「あんたら地元の人間か?」 団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」 少女「で、何しにきたんや?」 団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」 少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」 団体「・・・・?」 少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。    寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて    夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。    私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。    あんたらにわかるか?    消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。    でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」 最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。 あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。 団体は撤退。 彼女が門をくぐった時に、守衛さんが、彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。


明日に続きます。

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【校長日記】 家庭で伸ばす 自ら学ぶ子になる15の法則 −3−

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 先日、各家庭にお配りしました「家庭で伸ばす 自ら学ぶ子になる15の法則」を紹介しています。

 今回は最終回、高学年です。

高学年のための 家庭でできる7つの法則

13 「何のために勉強するの?」にきちんと答えたい。

小学校高学年や中学生になると、「何のために勉強するの?」「何のために学校へ行くの?」
そういう疑問を持つ子がいます。
モチベーションが下がっている時に多くもつ疑問です。

ここは、大人としてきっぱりと答えたいものです。

私のブログ「あなたも社楽人」では、生徒のための勉強法 というカテゴリーに、勉強にはやり方があるを連載しています。

その第1回が、勉強する理由を、自分なりに納得しよう!なのです。
  http://blog.goo.ne.jp/syaraku0812/e/86038658f416bb8f08c802d446fbfd76
私の考えが書いてあります。

まずは、大人として答えることができるようにしましょう。
そして、かみ砕いて説明してあげましょう。



14 「あこがれ」と「ライバル」は必要

「あこがれ」は目標になります。
「ライバル」は競争心をもつために必要です。

この二つは、勉強への強い動機付けになります。

紙に書いて貼っておくのもいいですね。



15 できる子は「予習」をしている

低学年・中学年では復習中心でよいのですが、高学年や中学校では予習が重要になってきます。

予習の考え方は複数あります。

予習でひと通り理解して、授業を復習とする考え方があります。

しかし、そこまで行かなくても、映画の予告編のように、学習への期待感を高める程度でもよいと、私は思っています。

できれば、疑問をもって臨むと、授業への集中力もより高まります。
授業中にその疑問を解決できた時は、すでに「理解」レベルに達しています。

さらには、授業と切り離して、自分で学習教材を進める方法もあります。

その子にあった方法で取り組ませたいものです。



【校長日記】東日本大震災から5年 −3−

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日本人を元気にするちょっといい話の続きです。

・子供がお菓子を持ってレジに並んでいたけれど、順番が近くなり、レジを見て考え込み、レジ横にあった募金箱にお金を入れて、お菓子を棚に戻して出て行きました。店員さんがその子供の背中に向けてかけた、ありがとうございます、という声が震えてました。


募金箱の前にて幼稚園位の男の子と母親の会話

母「貯めてたのに本当にいいの?」 子「3DS我慢する。これで地震の人の家建てる。」と言いお年玉袋から5000円を寄付。 母「偉いね。地震の人、これで寒くなくなるね。」 男の子思わず号泣。後ろにいた私、大号泣。


旦那さんが自衛官の友人より

以前息子さんが「パパは戦争がお仕事?」と涙ながら聞いてきた事があったそうだ。誰かの心ない言葉に傷付いたんだろう。 今、息子さんは毎日TV画面に向かい 「パパ頑張れ、パパのお友だち頑張れ!」と叫んでるって。「僕も自衛隊になる!」って。
出典 http://blog.goo.ne.jp/aboboa/e/3432bd34bc3adfd31c1d537ebb22beaa 


千葉の友達から

避難所でおじいさんが「これからどうなるんだろう」と漏らした時、横に居た高校生ぐらいの男の子が「大丈夫、大人になったら僕らが絶対元に戻します」って背中さすって言ってたらしい。大丈夫、未来あるよ
出典 http://29da.blog33.fc2.com/blog-entry-114.html 


 明日に続きます。

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【校長日記】 家庭で伸ばす 自ら学ぶ子になる15の法則 −2−

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 先日、各家庭にお配りしました「家庭で伸ばす 自ら学ぶ子になる15の法則」を紹介しています。

 前回、低学年に続き、今回は中学年です。

中学年のための 家庭でできる7つの法則


8 わからないところを理解・自覚する
 勉強とは、×(できない、わからない)を○(できる、わかる)ようにするため行為です。簡単に書くと × → ○です。

 もともと書くことができる漢字を何回練習しても、それは勉強とはいいません。○ → ○ だからです。

 すなわち、×を見つけることが勉強の第一歩。
 その×が「わからない」なのです。
「わからない」ことは、大切なことなのです。

 しかし、「わからない」ことを責めると、次第に「わからない」ことを隠すようになります。わかったふりをするのです。

 私は、以前布袋小学校で担任をしていた時には、「まちがいは神様」と書いて貼っておきました。
 
ぜひ「わからない」を大切にしてあげましょう。
 

9 「手をかける」から「目をかける」にシフト

 低学年のころは、「手をかける」ことは必要です。
 しかし、いつまでも手をかけていては、本当の学習習慣は身に付きません。
 学習環境は整え、徐々に手を離しつつ、しかし目を離さない。
 それが、「手をかける」から「目をかける」にシフトするということなのです。

 目標は、いわれなくても自分から机に向かうこと。
 定着したら、内容に踏み込みましょう。


10 会話がはずむ相互理解

 学校では、ペアやグループで話し合う活動を進めています。
 相手に説明するには、まず自分が理解しなくてはなりません。
 また、相手に話すことで、あいまいな部分も見えてきます。
 何より、話を聞いているだけの時よりも、学ぶことが楽しくなります。

 これは、家庭でも同じでしょう。
 ぜひ、学校での出来事を聞いてあげましょう。
 また、社会の出来事を話してあげましょう。


11 決して崩れない「土台」をつくる

今日は、あの大震災から5年。
亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に、被災された方にお見舞いを申し上げます。

あの津波で被害に遭った地域を訪れると、土台だけが残っている光景を目にします。
被災者の方には申し訳ないのですが、私は「土台がいかに強いか、大切か」を学びました。

例えば、かけ算の九九。
これは算数の四則計算をする上では、土台です。

「読み・書き」もすべての教科の土台です。

決して崩れない「土台」をつくりましょう。


12 遊びでの経験が、考える力を生む

 ゲームのなかった時代、いつも、外で子どもたちは遊んでいました。
 そこでは、生きる上での智恵など、人間関係も含めて、多くを学びました。

幅の広い人に育てるには、いろいろな経験が必要です。
 子どもたちにとっては、遊びも経験の内。
 たくさん遊んで、たくさん学ぶ子にしたいですね。

 続きます。

【校長日記】東日本大震災から5年 −2−

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今日で、あの大震災から5年経ちました。

昨日紹介しましたが、私のブログでは、震災直後から、5月末尾まで、毎日、世界がどうあの震災を報道したかを記録してあります。

何かの資料になればと思っています。


ちょっといい話も記録してあるので紹介します。

壊れたDS

当方宮城県民。 朝からスーパー並んでたんだが、私の前に母親と泣きべそかいた子供がいたんだ。 子供は大事そうに壊れたDS(画面の亀裂はもちろん色々飛び出してる)を持っていて、時折ボタンを押しては反応が無いことに落胆している様子。 母親との会話を聞くと、どうやらそのDSはサンタさんから貰ったらしい。 子供がすんごい悲しそうでさ、ゲームができないことよりサンタが怒ってないか気にしてた。 周りも私も何とも言えない気持ちになってたら、1人の中学生くらいの男の子が子供に近づいてった。 で、自分のDS渡したんだよその子。 しかも「サンタさんから頼まれた」とか言って壊れたDSと自分の交換してた。子供大喜び。母親は涙ぐみながら頭下げてた。 凄い嘘臭いけど本当の話。 電気ないし水ないし寒いし食料も充分じゃない。 けどだいぶ気持ちが明るくなったよ。 余談だが、この現場を見ていたらしいおばちゃん達、その中学生に自分達が買った食料分けてた。 私は彼にパワーを貰ったので、これを見たあなた達にもお裾分けしたい。 頑張ろうね。 

出典 http://matome.naver.jp/odai/2130041755351640801 


妹のmixi日記に泣けた…

『長男@小4が、自分の財布と貯金箱の中身全部募金したいと、号泣しながら差し出してきた。コロコロコミック買えなくてもいいから、日本まもりたいから!って』

出典 http://matome.naver.jp/odai/2130008285448154801


ヤンキーの兄ちゃんがおばあちゃん背負って避難したり、ヤクザのおじさん達が交通整備したり、見た目DQNな集団が子供の傍から離れられない親の分まで食料受け取って配ったり、二次元クラスタの連係プレーでヤシマ作戦成功させたり 日本人に生まれたことを誇りに思う 


避難所で、4人家族なのに「分け合って食べます」と3つしかおにぎりをもらわない人を見た。凍えるほど寒いのに、毛布を譲り合う人を見た。きちんと一列に並んで、順番を守って物資を受け取る姿に、日本人の誇りを見た。 


バイト中に地震があってほぼ満席の状態からお客さんに外に避難してもらいました。食い逃げ半端ないだろうな、と思っていたがほとんどのお客さんが戻ってきて会計してくれました。ほんの少しの戻られなかったお客さんは今日わざわざ店に足を運んでくださいました。日本ていい国。 



うちの三歳の娘が、いきなり十円玉だらけのお小遣いを持ってきて、泣いてる人に一つずつあげるんだって。これで、地震治るねって。。みんな良く考えよう。自分にやれる事がやれているか。 



鹿児島でひとり暮らす母に電話。声を聞かせて安心させるつもりが、逆に叱咤激励されてしまった。母曰く「あなたが今その年齢で其処に立っていることの意味を真剣に考えなさい。自分にできるやり方で世のため人のために尽くしなさい」と。僕はあなたの子であることを誇りに思います。明日も生きるぜ。 



ご他聞に漏れず職場でも募金箱を設置させて頂いたのだが、買い物に来た子供たちが自分の僅かな小遣いの中から、当たり前のようにお金を募金箱に入れてくれるのを目の当たりにし、めちゃめちゃ感動した…。 決して褒めてもらいたいわけでなく、本当に自然に、本当に純粋な姿だったことに心が震えた。 



明日に続きます。

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【校長日記】東日本大震災から5年 −1−

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あの東日本大震災から、明日で5年になります。

当時、私自身、自分に何ができるかを考えました。

私は、毎日、海外の震災情報を集めて、ブログ上に残しておこうと考えたのです。
海外の情報は、数ヶ月で消えてしまいます。その後は、検索しても出てきません。

私は、3月13日から、5月31日まで、毎日その作業を続けました。
もちろん今でも見ることができます。
見返すと、当時の状況がよみがえってきます。

初日、3月13日の記事の見出しです。(写真上)
東日本大震災を海外はどう報じているか・・・−中国− http://blog.goo.ne.jp/syaraku0812/e/75a314d8793949fd7705c3d11a7f9953 

その後も、写真中のように、毎日アップしてきました。
 http://blog.goo.ne.jp/syaraku0812/e/5333ab8c6d07c7b611cd2acf5bcc7f72

5月も終盤に入ると、海外メディアの情報量もかなり減ってきました。
人の噂も75日といいますが、75日を境に本当に減りました。

そこで、6月からは、「日本を見つめる世界の目」として、その他の話題も組み入れてきました。

それも、8月31日で終えたのです。

最終日、8月31日の記事です。(写真下)
http://blog.goo.ne.jp/syaraku0812/e/6b642549d0eab74e5773a221093eb101 

その時の記事の一つを紹介します。
ロイターhttp://jp.reuters.com

自衛隊の大規模派遣終了
 防衛省は31日、東日本大震災での自衛隊の大規模災害派遣を同日で終了すると発表した。非常時の待機要員など約1600人(30日現在)を派遣していたが、福島第1原発事故への対応や、入浴支援に当たる陸上自衛隊員約200人を除いて撤収。自衛隊はピーク時、10万7千人態勢で人命救助や行方不明者の捜索、生活支援などを実施。派遣自衛隊員は延べ約1061万人(30日現在)に上り、創設以来、最大の活動となった。


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明日からしばらくの間、当時の震災記事を紹介します。

【校長日記】 『尾張の政』 を発行しました

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私が長を務めている尾張教育研究会社会科部 では、探訪 尾張の歴史シリーズ を2年に1度発行しています。

その第4集 『尾張の政』 を発行しました。

その 題字、まえがき は私が書きました。

「政」とは、「政治」であり「お祭り」です。
題字には、「政」の堅いイメージと、「お祭り」の荒々しいイメージが出るように書いてみました。

実際には、尾張地方各地に伝わるお祭りがほとんどでしたが、政治として、大口町の社本町長も取り上げています。

図書館等にも入ると思います。手に取る機会がありましたらご覧ください。


【校長日記】 今日の朝礼は・・・

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今日は、6年生最後の体育館朝礼。
すなわち、全校児童が一同に会する最後の機会となりました。

スポーツ少年団の表彰状の披露に続き、昨日の「ふくし江南 ふれあいまつり」について、なかでも中学生ボランティアのがんばりを紹介しました。

そして、6年生の人に、中学生になったら、ぜひボランティアに参加しましょうと呼びかけました。
なぜなら、ボランティアは社会に参加する第一歩だからです。

続いて、「厄年」という漢字、読めますか?と問いかけました。
何人かが、読むことができました。

人生の中で、体の変化で、特に気をつけようと、平安時代から言い伝えられてきたのが「厄年」です。
特に、男性の数えで42歳には、大きな行事をもちます。

その人たち(平二卯辰会)が中心となってつくった、平成二年度 布袋中学校同窓会の皆さんからプロジェクター2台を寄付をしていただきました。
その品を紹介しました。

最後に、詩を紹介しました。

まどみちお朝が来るとです。
人はなぜ学ぶのかを教えてくれる、すばらしい詩です。

その末尾を次のように紹介しました。

いまに おとなになったなら

ぼくだって ぼくだって

(             ) できるように なるために


(      )はどんな言葉が入るでしょうか。周囲の人と話し合ってみてください。

正解は、

なにかを 作ることが
 です。

「なにか」とは、物とは限りません。「世の中」を創るという意味を含むのです。

入学式に1年生の人に「学校は勉強するところです」といいました。

そして6年生の人にいいました。
中学校になっても、世の中を創るために勉強してください。

その6年生がメルヘンルームに飾る絵を卒業記念に描いてくれました。
みんなで、お礼の拍手をしました。
ありがとう。

第7回ふくし江南 ふれあいまつり

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今日は、 第7回ふくし江南 ふれあいまつりへ行ってきました。

江南市の福祉向上や街づくりのために、多くの団体、多くの人がかかわっていることがわかりました。

また、何十人という中学生ボランティアが活躍していました。
6年生の人も、中学生になったら、ぜひボランティアに参加してください。
社会に参画する第一歩です。

午後からは、今年一年間、4年3組と福祉の授業でかかわった安藤正太郎さんのコンサートへ行ってきました。

ハンガリー舞曲第5番 ブラームス
悲しきロスマリン クライスラー
愛の悲しみ クライスラー
愛の喜び クライスラー
ザ ホットカナリン
ツィゴイネル ワイゼン サラサーテ

以上の6曲を演奏しました。

いつもながら、素晴らしい演奏でした。

【校長日記】 感激した出来事

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昨日は、布袋中学校の卒業式に出席しました。
そこで、こんなことがありました。

式では、一人一人が正面の階段を上がり、金森校長先生から卒業証書をもらいます。その後、男子は左手、女子は右手の階段から降り、それぞれ、教育長、市長代理にお辞儀をします。女子は、来賓席の前を通り、私の前を通過して、そこに置かれた箱に証書を入れるのです。

誰もが、同じように証書をもらい、同じようにお辞儀をして戻っていきます。決められたルーティーンを忠実にこなしていきます。
ただ、一人の例外を除いて・・・・。

その女子生徒は、私の前まで来て止まり、向きを変え、私に笑顔でお辞儀をしてくれたのです。
突然のハプニングに驚きましたが、私もとっさに笑顔でお辞儀を返しました。


その女子生徒は、支援学級に属し、私も数回授業を見たことがあります。
また、朝走っているときに、何度か挨拶を交わしました。
また、彼女にとって、母校の校長という認識はあったと思います。
でも、その程度の関係です。
その彼女が、わざわざ止まってお辞儀をしてくれたのです。

学校の指導からは外れた行為です。
いわば勝手な行為。
しかし、どうして責められましょう。

本当に気持ちから出た行為なのです。

他の生徒では思ってもできないことを、彼女はさりげなく実行したのです。

わたしは感激しました。
さらに、すごいことだと評価しています。

ルールにはありませんが、全体の雰囲気を崩すわけでなく、自然体で自発的に出た行為。
彼女が考えて、彼女が実行したのです。

いつも笑顔の彼女を見て、「周囲から愛されて育ったのだろう」と思っていました。
それ以上のことはわかりません。

しかし、あのお辞儀で、彼女が充実した中学校生活を送ってきたであろうことを確信しました。
また、素晴らしい教育を受けてきたであろうことも…。


その一瞬の出来事で、布袋中学校の卒業式は、私にとって忘れられない出来事になりました。

新しい世界で、彼女に幸多かれと願います。

【校長日記】 テレビの近くには地図を置こう!

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今、イランとサウジアラビアの断交やイスラム国、米大統領選、オリンピック予選など、テレビからは世界の多くの話題が出てきます。 

日本国内でも、信州上田城、高浜原発、口永良部島など、話題になるところはいくつもあります。

そこで、テレビの前に地図を置こう!

知識と知識、さらに知識と現実が結びつくと、点が線になり、面になります。
それが理解へとつながり、次の興味・関心へと発展します。

たとえば、テレビの近くに日本地図・世界地図があり、ニュースで地名が出た折に、誰かが「どこだっけ?」と言うだけでおもしろいですよね。

「○○の近くだよ。」などと言いながら、地図で確かめて、指で示しながら「ここだった。」「当たり!」などと叫ぶ。

これが、勉強のベースになる「知的好奇心」を生み出す土壌なのです。簡単に言うと学習環境です。

自然と、自ら学ぶ子が育ちます。

その助けになるのが、たとえば地理なら地図、歴史なら年表のついた歴史資料集、国語なら国語辞典、そういった基本資料がすぐに調べる事のできる距離にあればよいのです。

知りたい時に調べてわかった知識は、おそらく忘れる事はありません。

さらに調べて、点が線になり、面になった時には、本当の力になる事でしょう。
テレビの前には、基本資料を置いておきましょう。

【校長日記】 布袋中学校 第69回卒業式

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今日は、江南市立布袋中学校 第69回卒業式に伺いました。
平成元年から10年勤めた学校なので、思い入れがあります。

入場のBGMは、ベートーヴェンの第九 三楽章。
私が音楽担当をしていた時に選んだ曲です。
タイスの瞑想曲なども、当時のまま使われていました。

式は、最近の小学校では少なくなった、在校生送辞、卒業生答辞が述べられ、唱歌「仰げば尊し」が歌われる、伝統的な形です。

送辞も答辞も、素直な文章で、とても心のこもったものでした。

式後の卒業記念合唱も、全校での「大地讃頌」、3年生の「河口」「旅立ちの日に」のどれもすばらしく、最後の、涙混じりのあいさつでは、思わずもらい泣きをしそうになってしまいました。

6年生も、3年後にはこの場にいると思うと、この先の時の流れを感じます。
彼らは、どんな応援合戦をやってくれるのでしょうか・・・。


3年後の布袋中学校の卒業式。

今から楽しみです。

【校長日記】 三寒四温

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「三寒四温」と聞くとどんなイメージを持ちますか?

春先に、低気圧と高気圧が交互にやってきて、寒くなったり、暖かくなったりを周期的にくり返す事をイメージしませんか?

この日曜日は温かかったのに、今日は雪が流れこみ、グランドも真っ白でした。
ちょうど暖かさの次に寒さがやってきた、このようなイメージです、

しかし、本来は違います。

冬に寒い日が3日くらい続き、その後暖かい日が4日続くという意味で、寒暖の周期を表す言葉です。

中国の東北部や朝鮮半島北部での冬の気候を表す言葉で、冬のシベリア高気圧が7日ぐらいの周期で変化することを表しているそうです。
日本では見られない気候で、言葉だけが、この春先の様子に例えられるようになりました。

言葉は生き物ですね。

この寒さのおかげで、桜の開花が遅れます。

何とか、入学式まで待ってほしいのですが・・・・

【校長日記】 小郷で馬頭観音を見つけました

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小郷町の大日寺の横に、馬頭観音を見つけました。

タイプ的には、小折五叉路のものとよく似ています。
ただ、これも風雨にさらされていたのか、かなり風化しています。

前にも紹介しましたが、馬頭観音は、街道沿いに多く見られます。

馬が移動や荷運びの手段として使われることが多くなり、馬が急死した道端などに多く祀られました。

この馬頭観音も、かつては別の街道沿いにあったものが、大日寺の隣に移されたのではないかと想像できます。

布袋が、かつて交通の要所であったことを物語っています。

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