最新更新日:2024/05/21 | |
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【校長日記】 ほのか小学校へ行ってきましたほのか小学校は,平成14年4月、本陣小学校・則武小学校・亀島小学校の3校が統合されて開校しました。 名古屋市初の統合校で、「ほのか」は各学校の頭文字をとったものです。 遊具横に、相撲の土俵があったのが印象的です。(写真中) 東海地区社会科研究協議会は、尾張・三河・名古屋・岐阜・三重・静岡 6地区の社会科研究団体の代表が集まって情報交換するもので、私は、尾張の代表として参加しました。 ほのか小学校は、来年度、全国小学校社会科研究協議会研究大会の会場となるために、土曜日の授業公開に合わせて、みんなで見合いました。 テーマは、ともに生き合う社会を目指す子どもたちの社会科学習〜協働から参画を志向して〜 今日は、4クラスの社会科の授業を見てきました。 その後は、ノリタケの森(写真下)で研修を深めました。 Tomiya うちに帰る de Show!入り口にはすでにたくさんの花が並んでいます。 おそろいのTシャツを着た(たぶん)同級生が、たくさんスタッフとして手伝っています。 入り口でペンライトを渡されました。 ホールはほぼ埋まっていました。 2時間40分間、約20曲を歌い上げたTomiyaさん。 感想は次に・・・・ 【校長日記】 歌よ ありがとう −3−Peace! 心開いて Peace! 大人になって Peace! きちんとしよう 作詞 とみやん 幸せな気分になってからは、前向きな歌詞になってきました。 今はもう涙忘れたけれど あのときに歌った歌が 勇気を僕にくれた だからいつの日も心をこめて この歌を君に贈ろう ぼくらの歌声を 作詞 花岡 恵 Tomiyaさんにより心がどんどん熱くなった時に全校で歌った「歌よ ありがとう」は、強く心に響きました 最後の校歌は、これまで何度も聴いたはずなのに、特別ジンときました。 すばらしい時と空間をプレゼントしてくださったTomiyaさん。 ありがとう! 明日も応援に行きます! 【校長日記】 歌よ ありがとう −2−このあたりの構成が見事です。 幸せなら手をたたこう 幸せなら手をたたこう 幸せなら態度でしめそうよ そらみんなで手をたたこう この曲は元はスペイン民謡ですが、そのスペインに征服されたフィリピンで広まりました。 そのフィリピンには、かつて日本軍が侵攻しましたが、戦後、現地の人と平和交流を進めていた木村利人さんがその民謡を聴き、作詞をしたのがこの曲です。 楽しい曲ですが、本来は、平和の幸せを大事にし、手をたたいて喜び、態度に示して手をつなぎ、お互いに助け合おうという崇高な精神を表した曲です。 坂本 九ちゃんが歌って大ヒットしたのが、私が6歳の時。 そして、九ちゃんが飛行機事故でなくなったのが、私の27歳の誕生日。 大切に、歌い繋ぎたい曲です。 今日は、いろいろなバージョンで楽しみました。 全員立ち上がり、会場の空気はどんどん熱くなりました。 すばらしい一体感です。 まさにHappy Song でした。 【校長日記】 歌よ ありがとう −1−あらためて、歌の力について感じました。 はだしのKids くつとばし 草むらに飛びこみ ・・・・ いつまでも どこまでも はだしで かけてた 作詞 とみやん この青空に翼をひろげ 飛んでゆきたいよ 悲しみのない自由な空へ 翼はためかせゆきたい 作詞 山上路夫 「翼をください」は、保護者世代というよりも、私の世代の曲です。 赤い鳥が歌ってヒットしたのが、私が中学校1年生の時です(だと思います)。教科書にも載り、保護者世代は音楽の授業で習ったと思います。 思春期の思いを表現した2曲により、会場の空気がすっかり温まりました。 【校長日記】 知立市立来迎寺小学校 研究発表会来迎寺小学校は、あの“在原業平”が、「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」と、「かきつばた」の5文字を歌に詠んだ、名勝八橋の無量寿寺や、東海道松並木の残る、歴史のある地域にある、伝統のある学校です。 その研究テーマは、思考力を育てる授業づくり 思考力の育成 は、全国多くの学校で取り組まれているテーマです。 さて、ここで考えてみましょう。 思考力をどうやって伸ばす? 「足が速くなる」「握力を付ける」これらは数値で計ることが出来ます。 それでは、「思考力」は? 全国の多くの学校では、思考力育成のために、「言語活動」を中心に取り組んでいます。 言語活動に取り組めば、確かに表現する力は伸びるでしょう。 しかし、それが考える力といえるのかどうかは、私は疑問に思っています。 それでは、来迎寺小学校ではどうしたか・・・・。 後ほど紹介します。 まずは、皆さん、考えてみてください。 思考力をどうやって伸ばす? 【校長日記】 梅 塚先日、ホームページより、「小折口駅、梅塚について知っている人、教えてください」と書いたら、すぐに情報をいただきました。 梅塚は、小郷公園の南側、畑の中にありました。(写真上) 近づくと、90センチほどの石碑が建っていました。(写真中) 東側が表で仏像の陰刻、西側には「生駒平三郎の廟也」「尾州丹羽郡小折村梅塚」と刻まれています。 「生駒平三郎」については、後日説明します。 【校長日記】 名鉄犬山線 小折口駅小郷と千秋との境です。 じつは、この付近に、かつて名鉄小折口駅があったのです。 昭和の時代には、煉瓦の礎石が残っていました。 太陽光発電のもう少し奥だった気がします。 中の図は、名古屋電気鉄道が、当初計画の郡部線(一宮・犬山・津島線)全通時に発行した線路図の一部で、 大正3(1914)年3月発行のものです。 出典は、名鉄史料館http://www.meitetsu.co.jp/recommend/library/exhibition/detail/1235004_5073.html 11枚目の図をご覧ください。 その拡大図(写真下)を見ると、確かに、石仏駅と布袋駅の間に、小折口駅の文字が見えます。 昭和30年代には、まだ駅があった気がします。違うかな? どなたか教えてください! 【校長日記】 五条川は 元 木曽川本流五条川沿いの田は、稲刈りを終えたところとこれからの所のパッチワークみたいになっています。 ご覧のように、五条川沿いは数百メートルの幅で田が南北に連なっています。 これは、かつての木曽川の本流の跡です。 五条川は、かつての木曽川なのです。 流量が増えるに従って、西へ西へと流れが移動していきました。 見ているとよくわかりますね。 【校長日記】 経 塚田代墓地の中にある、吉乃が荼毘にふされたところです。 市のHPには次のように書かれています。 田代町の田代墓地の一角に大きな桜の木があり、その脇に小高い盛り土があります。 その上の高さ125センチの碑に観音像が浮き彫りしてあり、小牧山に向かって建てられています。裏には「尾州丹羽郡小折村新野経塚」、その右に「久庵桂昌大禅定尼葬地也」と刻まれています。 ここが、信長の室「吉乃の方」を荼毘にふしたところです。建立されたのは定かでありませんが永禄9年(1566)5月13日、29歳の若さで帰らぬ人となった吉乃の方を弔って、死後建てたものと思われます。じっとこの観音像を拝していると、吉乃の方の優しいほほえみが伝わってくるようです。帰らぬ人となってしまった吉乃の方を思い、信長は一晩中泣き明かし、その後も一人小牧城の望楼にたたずみ、この地に向かって涙する日が続いたといわれています。 そして、あの戦国時代に信長を中心に郷土が生んだ前野将右衛門一族、蜂須賀小六父子、豊臣秀吉、徳川家康などが命を賭けた数々の戦いが思い起されます。さらに、激しい国盗りの影で信長と吉乃の方のラブ・ストーリーが偲ばれます。 どこかに梅塚 もあったはず。 ご存じの方、教えてください。 【校長日記】 今日の朝礼始めに、後期代議員、委員会委員長・副委員長の任命式を行いました。 一人一人名前を呼ばれ、力強い返事ができました。 その後、陸上記録会入賞者の表彰を行いました。 5年生以下の人も、記録会を目指して、体力づくりに努めてほしいものです。 続いて、スポーツ少年団の大会で優秀な成績を残した人に対して拍手を贈りました。 最後に、昨日の祭礼の様子を紹介しました。 「地域の行事に参加することはとても大切なことです。11月1日には、布袋で大きな地域行事があります。積極的に参加しましょう」と結びました。 伊賀々原神社祭礼ちょうど、お祓いの場面でした。 この伊賀々原神社には前から述べたいと思っていたことがあります。 伊賀々原神社 は式内社 です。 式内社は、『延喜式』神名帳 、じんみょうちょうと読みます。これに記載されている神社のことで、全国で3132座、2861社の記載があります。927年のことです。 記載されていない社は式外社 (しきげしゃ)といいます。 江南市に鎮座する式内社は5社かな?(違っていたら教えてください) それは、宮田の川島神社 以外は、伊賀々原神社、稲木神社、井出神社、石作神社神明宮 。 この4つは、なんと、布袋北小学校を中心とした半径0.6km以内に収まっています。 927年の時点で、江南市の神社は、布袋地区に集中しているのです。 (それ以外はないのです。) なぜでしょう? どなたか教えてください! 名古屋まつり 郷土英傑行列 −3−先払侍 → 馬印持 → 挟箱奴 → 毛槍奴 → 供侍 → 駕籠奴 → 御典医 → 腰元 → 【千姫山車】 千姫、局 → 大久保彦左衛門 → 魚屋 → 一心太助 → 供侍 → 大太鼓 → 幟旗隊(黄) → 幟旗隊(赤) → 幟旗隊(紺) → 【家康山車】 徳川家康、徳川秀忠、本多正純、土井利勝、立花宗茂 → 徳川十二将 → 松平忠直 → 酒井忠世 → 伊達正宗 → 真田幸村 → 真田大助 → 望月六郎 → 後藤又兵衛 → 猿飛佐助 → 鉄砲隊長 → 鉄砲隊 → 槍隊長 → 槍隊 人選はどこに視点を当てるかによります。 徳川十二将がいるということは、江戸幕府の樹立に功績を立てた、いわゆる徳川四天王 酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政の4人ははずせないでしょう。 この4人がいないばかりか、本多正純、土井利勝 は江戸幕府が軌道に乗ってからの人です。 さらに立花宗茂がなぜここに? 松平忠直は家康の孫です。 真田幸村・真田大助の親子や望月六郎、後藤又兵衛、架空の人物 猿飛佐助は、大坂夏の陣での家康の敵として登場します。 人選に今ひとつ疑問を感じますが・・・。 姫が千姫なのも、他の2人とは違いますね。 まっ、お祭りだから・・・。 名古屋まつり 郷土英傑行列 −2−旗差物 → 旗持 → ドラ → ほら貝 → 陣太鼓 → 槍持 → 【七本槍】 福島正則、加藤清正、平野長泰、加藤嘉明、糟谷武則、片桐且元、脇坂安治 → 【秀吉山車】 豊臣秀吉、曽呂利新左衛門、前田利家、石田三成、小姓 → 【地方大名】 伊達政宗、黒田長政、小西行長、上杉景勝、毛利輝元、浅野長政、蜂須賀小六 → 出雲の踊り子 → 鳴り物 → 【ねね山車】 ねね、大政所、局 → 大名奥方 → 腰元 → 槍持 → 琉球エイサー踊り なかなかのメンバーです。 浅野長政、蜂須賀小六が入ってくれたことはうれしいですね。 ところで、なぜ琉球エイサー踊りがあるのでしょうか? 関白秀吉は、1859年に琉球に対し入貢を要請しています。 さらに、朝鮮出兵のために、1591年には、軍役、兵糧米などを琉球に要求しました。 琉球は半分のみを満たしましたが、その後、島津家により攻撃を受け、薩摩藩の付庸国となるのです。 これが関係しているのでしょうか・・・・。 名古屋まつり 郷土英傑行列 −1−昨日の様子を取材してきました。 名古屋にとって郷土の英傑ということは、布袋に縁のある人たちが多くいます。 まずは信長隊。 次の順に登場しました。 織田信長 → 森蘭丸 → 柴田勝家 → 前田利家 → 羽柴秀吉 → 徳川家康 → 能楽師 → 腰元 →【濃姫山車】 濃姫、腰元 → 宣教師 → 外国大使 → 随員 後に登場する秀吉、家康がここでも登場します。 丹羽長秀・池田恒興はいないのかな・・・。 それよりも、濃姫以上に信長が愛した(と思われる)吉乃にも登場してほしい・・・。 【校長日記】 岐阜市立長良西小学校へ行ってきました昨年に引き続き、今年も校舎を建築中で、3階建てのプレハブ校舎で学習しています。 研究主題は「自ら学ぶ力を身に付けていく子を目指して」 。 「自ら学ぶ」は、古くて新しい課題です。 各教室ではレベルの高い学習活動が行われていました。 研究紀要を読んで、のちほどブログ「あなたも社楽人」で紹介します。 【校長日記】 拙稿紹介テーマは、社会科見学&修学旅行に新風を! 定番のリニューアル&新機軸の提案 というものです。 そこで、古図・古地図と比較しよう! と提案しました。 社会見学の時には、その街の古地図や古い写真や絵と比べて見てみようというものです。 ここでは、布袋小学校区内にある富士塚 を、『尾張名所図会』 より紹介しました。 実物と比べると当時が偲ばれます。 解説は、裏表紙の裏に書いてあります。 【校長日記】 なぜ遠足に行くのか?
これまでに、自然教室、運動会の法的根拠を説明してきました。
今回は、なぜ遠足に行くのか ついて説明します。 学校教育法 第4章に小学校について規定されており、 第三十三条に次のようにあります。 小学校の教育課程に関する事項は、(中略)文部科学大臣が定める。 その定めたものが学校教育法施行規則 です。 第二節に次のようにあります。 国語、社会、算数、理科、生活、音楽、図画工作、家庭及び体育の各教科(以下この節において「各教科」という。)、道徳、外国語活動、総合的な学習の時間並びに特別活動によつて編成するものとする。 ここに、「特別活動」 という言葉が出てくるのです。 これらの教科・領域を説明するのが「学習指導要領」 です。 その小学校学習指導要領「第6章 特別活動」の「第2 各活動・学校行事の目標及び内容」に次のようにあります。 [児童会活動] [クラブ活動] [学校行事] [学級活動] 特別活動は、この4つから成り立っているのです。 ついに[学校行事] という言葉が出てきました。 その[学校行事]は、さらに5つに分かれています。 (1)儀式的行事 (2)文化的行事 (3)健康安全・体育的行事 (4)遠足・集団宿泊的行事 (5)勤労生産・奉仕的行事 この(4)遠足・集団宿泊的行事が、文字通り遠足にあてはまります。 次のように説明されています。 自然の中での集団宿泊活動などの平素と異なる生活環境にあって,見聞を広め,自然や文化などに親しむとともに,人間関係などの集団生活の在り方や公衆道徳などについての望ましい体験を積むことができるような活動を行うこと。 これを目的に、遠足を行うのです。 これをさらに詳しく説明したものが「小学校学習指導要領解説 特別活動編」 です。 校外の豊かな自然や文化に触れる体験を通して,学校における学習活動を充実発展させる。また,校外における集団活動を通して,教師と児童,児童相互の人間的な触れ合いを深め,楽しい思い出をつくる。さらに,集団生活を通して,基本的な生活習慣や公衆道徳などについての体験を積み,互いを思いやり,共に協力し合ったりするなどの人間関係を築く態度を育てる。 遠足・集団宿泊的行事では、4つ例示しています。 遠足・集団宿泊的行事には,遠足,修学旅行,野外活動,集団宿泊活動などが考えられる。 これ以上は、遠足についての細かい記述はありません。学校に任されているのです。 学校で行っていることのほとんどは、法令で定められているのです。 ところで、韓国の水原市「華城」へ行った時、小学生が遠足に来ていました。ちょうど、弁当を食べていました。 その光景は、そこだけ切り取れば、リュックサックの色彩感といい、丸くかたまって食べることといい、全く日本と同じ風景です。 感心していると、「日本の統治下にあった時に、遠足の文化が広まり、定着した」と説明されました。 きっかけは日本文化の押しつけであっても、よいものは残るということですね。 【校長日記】 初代金管クラブアルトホルン2本、ユーフォニアム1本、バス1本を購入しました。 そして昭和60年から活動を始めました。 この写真は、初代の6年生です。 現在の布袋小学校の保護者も何人かいます。 5年生や4年生の楽器は・・・? 不足分は、個人楽器や、私が友人から借りて対応しました。 懐かしいですね・・・・。 【校長日記】 子供の体力 −男子−スポーツ庁は、体育の日に合わせ、2014年度の体力・運動能力調査の結果を発表した。東京五輪が開かれた1964年から毎年行われている調査だ。6〜79歳の約6万5000人を対象に実施した。 子供の体力は全体的に向上している。90年代には、ゲームの普及や塾通いにより、外で遊ばなくなり、体力不足が深刻化した。その後、学校での体育指導を充実させた成果と言えよう。 ただ、ピークの85年の体力には及ばない。特に、握力やソフトボール投げで低下傾向が続く。 ピークの1985年と言えば、今の保護者の世代です。 手元に、85年の陸上記録会の結果が残っています。 本来ならば平均値で比べるところですが、ひとつの目安にはなると思います。 名前を見ると、現在の本校保護者も何人か載っています。 なお、85年は児童数が今より多いこと(全校で1300人、現在は800人)、布袋・布袋北・古南・古西の4校だったこと。現在は、これに古東小を加えた5校であることを加味した上で比べてみてください。 −−−−−が85年の入賞ラインです。 今年の50m 1位 7秒3 2位 7秒4 3位 7秒5 −−−−− 4位 7秒6 4位 7秒6 6位 7秒7 6位 7秒7 今年の走り高跳び 1位 134cm 2位 131cm 3位 128cm 4位 125cm −−−−− 5位 122cm 6位 116cm 今年の走り幅跳び 1位 4m51cm 2位 4m40cm 3位 4m22cm 4位 4m12cm 5位 4m10cm −−−−− 6位 4m03cm 今年のソフトボール投げ 1位 51m95cm −−−−− 2位 48m85cm 3位 46m70cm 4位 45m99cm 5位 45m45cm 6位 44m71cm いかがでしょう。走り幅跳びは今年と大差ありませんが、ソフトボール投げが大きく違います。読売新聞の指摘通りの結果となりました。 次に、女子も比べてみましょう。 |
江南市立布袋小学校
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