最新更新日:2024/04/28
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日中は汗をかくようになってきました。水分をこまめにとりながら、学習や運動にしっかりととりくみましょう。

第1回 学校保健安全委員会

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今日は、学校医、学校薬剤師、PTA会長始め役員、環境委員のみなさんにお集まりいただき、第1回 学校保健安全委員会を開催しました。

学校保健安全法に則り、今年度の学校保健計画、学校安全計画、食に関する全体計画、さらに本年度の健康診断結果、生活チェクシーと結果について説明し、ご意見をいただきました。

特に話題になったのは、歯肉炎、もしくはその前段階が多いということです。

1日3回の歯みがきに加えて、歯と歯ぐきの間もていねいに磨くように指導をしていきますので、ご家庭でもよろしくお願いします。

井上一樹氏の講演 (後編)

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日曜学級での井上一樹氏の講演の概略後編です。
内容は概略であり、主観も交じっていますので、この内容について井上一樹に責任は一切ありません。転載はご遠慮ください。

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 こうした講演会は携帯が怖い。すぐにネット上につぶやかれる。山崎さん、山本昌さん、立浪さんも「携帯が怖いよな。こんなこと言ったとつぶやかれる。」僕らの世界では一番怖い。

 高校を決めて進学した。その前に鹿児島商業が旋風を起こしたので、1年生が200何人集まった。そこで、地獄が始まった。ボールもバットも持たせてもらえない。夏までみんな坂道を走らされる。30分までに帰ってこられないとやり直し。だんだん減っていった。夏に50人にまで減った。

 親方に断ってまで入った野球部はやめられない。それだけでやった。俺ではかなわないと思う才能ある同級生もいっぱいいたが、それらが挫折していった。ある意味ラッキーだった。結果、ドラゴンズに指名された。

 今、ドラゴンズは、楽天戦。昨日も一昨日もお客さんが入らない。
 楽天の副会長、星野仙一さんは名古屋の試合は同行する。星野さんがに来ると星野詣でがある。当時の新聞記者や一般の人と共に、僕もよばれる。星野監督にかわいがられたので。「大阪に来いや、京都に来いや」と呼ばれたのは僕だけ。「おい、一樹が来てないじゃないか。」と言われる。昨日も、今池のある店までダッシュ。
 そんなにかわいがってくれたから、星野監督のためならやってやろうと思った。星野監督は、そう意味ではうまかった。

 テレビで珍プレー好プレーがなくなったは子どものため。乱闘も最近はない。かつては他のチームの選手としゃべると怒られた。今はそれがない。大人しくなった。ドラゴンズ イコール 熱血 という僕にとっては少し寂しい。

 経験談はこれまでで、育成論に入る。
 「あいうえお」のそれぞれに「ん」をつける

:自分はどうあるべきか、目標をしっかり持つこと。この子は何をやりたいのか、それに対しては支援をしてやること。
 ただ、何をやってもそこそこできる選手は使いづらい。足だけが速い、守備だけはうまい。その方が生きていける。

:なりたいものに対して、陰でこつこつとした努力がどれだけできるか。
 怒られたときに陰にならないのも大切。

:がんばった人間にしか運は向いてこない。第三者にチャンスをあげたいなと思わせる努力が運を招く。

:小学校、中学校、高校、プロで助けてもらったのも先生や監督、先輩。縁がどれだけもてるか。井戸端会議も友達としての縁。社長やGMにたのまれるのも縁。人と人とのつながりは大事。縁を大事にする人が上がっていく。

:ありがとうといえるか。ごちそうさまといえるか。初めての人には言えるが、毎日会っている人にはいえるか。これらの言葉が私が育ててくれた。
 小さい頃に、ありがとう、ごちそうさま、それが習慣になっているか。

 「何になりたいか」「目標は何か」些細なことでよい。自分の中で目標を持つことが大事。チャンスはくる。縁を大事に、恩を大事に、そう意味での「あいうえお」。

 最後に、努力はうそをつかないというが、それは嘘。結果がでない場合もある。しかし、そこに向かってがんばること、信じることが大事。チャンスを自分でつかみにいくこと。

 私は指導者に恵まれたが、反面教師もいた。あるコーチは看板選手のみかわいがる。そのコーチは特定の選手をかわいがり他の選手には怒る。神宮球場でふつうのゴロをその選手がトンネルした。僕が必死に走ってセカンドに投げる。セカンドがセーフだった。チェンジになってベンチに戻ったら僕が怒られた。ふつうはトンネルをした選手に怒る。しかし、カバーが遅いといって僕が怒られた。

 3連戦の賞金があり、給料以外にももらえる。そのコーチが賞金を配る係。その選手には「厚いな」と配る。私の時には、そのコーチは「軽いな」と封筒を投げた。
 やってはいけないことで屈辱を味わった。 そして学んだ。自分がそうなったときにはやらない。

 指導者は、時には嫌われるときにはある。トップは、時には戦力外を宣告しなければならない。
 しかし、人には情がある。ぼくは優しい人間。いずれ断を下せる人にならなければならないと思っている。

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この後に行われた質疑応答は略します。実は球界の裏話で、これが面白かった!

とても大きな体で、胸板が厚く、それでいて達筆。

話もユーモアたっぷりで、あっという間に時間が過ぎました。

また、テレビやラジオで出演する時には注目したいと思いました。

井上一樹氏の講演 (前編)

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日曜学級での井上一樹氏の講演の概略を紹介します。
内容は概略であり、主観も交じっていますので、この内容について井上一樹に責任は一切ありません。転載はご遠慮ください。

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 出身は鹿児島県霧島市。霧島市をご存じか?合併して霧島市になった。
 温泉、お茶、黒霧島、黒豚、黒牛。今霧島市の親善大使をやっている。横綱白鵬関も霧島市親善大使。彼の方が貢献度が高い(笑)。現役時代なら、もっと貢献できたと思うけど。

 1999年、リーグ優勝した。背番号99。ピンクのリストバンド。「ピンキー」と呼ばれるようになった。「一」はピン。「樹」はキ。一樹で「ピンキー」。
 なぜピンクにしたか。ユニフォームは、背番号以外はすべて同じ服だから個性を出したいと思った。古いファンには覚えてもらった。印象深くするのは計算内のこと。

 開幕から11連勝。今と違ってナゴヤドームは常に満員。巨人との差が詰まってくると、優勝して当たり前といわれてつらかった。これで優勝逃したらたたかれるプレッシャーがあった。やっと優勝にたどり着いたときには嗚咽した。
 選手はどこか痛めている。その中で優勝したらやってよかったと思った。苦しんだから喜びがある。勝たなきゃ得られるものがない。

 その後、指導者になって、先輩として、必死にやってへたくそな選手はかわいい。できるけど努力しない奴は嫌い。

 今日は育成論。みなさん、子どもを育てるのは大変な時期。

 昔は、体育会系部活動をやっていたら体罰があった。プロになっても。
 今は通用しないかけど、当時はそれはそれでありだった。今は手を挙げられない。厳しい言葉を発すると、パワハラ、モラハラといわれる。難しい時代だ。
 チームは自分の子ども同然。必死にやると、怒ることもある。それが問題になるので、熱血指導ができない。それが悲しい。

 みんなが左回り走っているときに右回りで走る子がいるときはチームでは成り立たない。チームプレーは同じ方向を向いて走らないと困る。

 試合に出せばエラーするB、試合ではそこそこ打つが練習は嫌いなA。一軍ならAを使う。
 Bは2軍から1軍に上げてやろうと思わせる。そういったものを子どもなりに見せることができるかどうか。それで、伸びる伸びないが決まってくる。

 私は田舎で育った。ずば抜けた選手ではなかったが、それでもエースで四番。子どもの頃には厳しく育てられた。
 小学校の頃には野球チームに入りたかった。親は「入ってもいいが、毎日6時に起きてランニング、素振りをしなさい。それでよかったらいいよ。」
 その言いつけを守った。起きれないときは、おやじが一緒に走ってくれた。母親も厳しかった。

 中学校では変わった。練習する習慣が身に付いているので、自分の中で、やらなきゃ気が済まない。母親のしつけがそうさせた。そうなれば勝ちだ。

 中学校3年生になったら、高校を考える。井上家は相撲会と縁があり、逆鉾、寺尾と親戚。相撲部屋の親方が一樹をよこせと来た。東京に遊びに行った。相撲会に入るとこんなよいことがあるんだと接待され「わかりました」と返事した。

 しかしその頃、鹿児島商業がベスト4に入った。近藤真一が享栄高校の頃。かっこよかった。「やっぱり高校野球やりたい」と親方に断りを入れた。「一樹が決めることだからしょうがねえ」と言われて許された。

(明日に続きます。)

野外学習〜ファイヤーを振り返る −8−

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閉会、そして退場です。

野外学習〜ファイヤーを振り返る −7−

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トワリング、2組の演舞です。

野外学習〜ファイヤーを振り返る −6−

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トワリング、1組の演舞です。

野外学習〜ファイヤーを振り返る −5−

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トワリング、4組の演舞です。

セントラル愛知交響楽団のみなさんへ −5−

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先日に行ったセントラル愛知交響楽団演奏会後に書いた児童のお礼の手紙を紹介します。

今日はすてきで迫力のある音楽と、楽しい時間をありがとうございました。私は四季の「春」の曲が一番好きです。バイオリンのソロがとってもすてきでした。他にもクラリネットの曲があったり、楽器の紹介もしてくれて、あの時間は忘れられない時間になりました。 楽器紹介の曲の時も、1年生から6年生まで知っている曲を選んでくれてとてもうれしかったです。私は生で聴くのが3年ぶりだったのでとてもうれしかったです。 私が今日のうれしさと楽しさを体験したみたいに、みなさんもいろんな人にあのうれしさと楽しさを届けてください。これからも応援しています!

野外学習〜ファイヤーを振り返る −4−

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最後はトワリングです。

3組の演舞です。

教育講演会 井上 一樹 氏

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授業参観後には、教育講演会を行いました。

講師は、元中日ドラゴンズ 井上一樹 氏

演題は、野球から得た、育成論

内容は、後日お知らせします。

講演後には、サインボールのトスバッティング。サイン入り色紙プレゼントがありました。

井上一樹氏 来校!

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教育講演会のために、元中日ドラゴンズ、井上一樹さんに来校していただきました。

講演前に、サインをいただきました。
とても達筆です。

勝って上向かず
負けて下向かず


勝っても天狗にならない、負けてもくよくよしないという意味です。

我自傲慢

「我慢」、「自慢」、「傲慢」をミックスしたものです。

・成功するためには我慢することが大切。
・自慢できるものを身に付けなければならない。
・時には、傲慢に自分をアピールすることも必要。

その通りですね。

日曜参観 −9−

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上が6・7組、下がワールドルームでの修学旅行写真の展示です。

日曜参観 −8−

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上から、6年2組、6年3組、6年4組 です。

日曜参観 −7−

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上から、5年3組、5年4組、6年1組 です。

日曜参観 −6−

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上から、4年4組、5年1組、5年2組 です。

日曜参観 −5−

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上から4年1組、4年2組、4年3組 です。

日曜参観 −4−

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上から、3年2組、3年3組、3年4組 です。

日曜参観 −3−

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上から、2年3組、2年4組、3年1組 です。

日曜参観 −2−

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上から、1年4組、2年1組、2年2組 です。

日曜参観 −1−

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本日の日曜参観の様子です。

上から、1年1組、1年2組、1年3組 です。
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