最新更新日:2024/04/28
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日中は汗をかくようになってきました。水分をこまめにとりながら、学習や運動にしっかりととりくみましょう。

二月堂

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さわやかな空気です。

二月堂の前で

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31,38班です。

大仏と一緒に

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大仏わかりますか?

東大寺

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1組です。

東大寺

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2組です。

東大寺

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3組です

東大寺

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4組です

鹿が迎えてくれています

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奈良公園に入りました

東大寺に向かいます

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暑くなりそうです。

日頃の生活が出ますね

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進んで片付けている子はいつもやっているのでしょうね。

朝食4

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今日もたくさん歩きます。しっかり食べてエネルギー補給!

朝食3

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美味しそうですね

朝食2

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いただきます

朝食

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いただきます

オリエンテーション

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タマルの方にお礼を言いました

始動

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荷物を整理し、バスに積み込んでいます。

朝の奈良

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気温は7度。寒いくらいです。

ホテルタマル(写真上)の前は奈良マラソンのコースで、39kmあたりでしょうか。

私(校長)も以前走りましたが、起伏のある奈良公園を過ぎて、急に沿道の応援が増えてしかも緩い下りになる、とても元気が出るところです。

奈良マラソンは、奈良市から天理市までの往復。途中山越えがあります。揖斐川マラソンよりもハードな難コースです。

朝の興福寺、猿沢の池辺りはとても静かで、ほとんど人に出会いませんでした。
出会うのは鹿ばかり。

途中の芝もきれいに刈られていると思ったら間違いで、鹿が食べているのでした。

都市部でこれだけ多いので、奈良公園内はもっと増えているのでしょうか。

今日は暑くなりそうです。


朝の奈良は鹿だらけ

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朝5時頃の奈良市内の様子です。

この4年間、毎年この時間に散歩していますが、今年の鹿の多さにはびっくり!

道路を並んで横断しているもの、いきなり飛び出して車とぶつかりそうになるものもいます。

鹿と人間が共存している、世界で唯一の都市です。

【校長日記】 興福寺五重塔が25円の理由は?−2−

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 現在、子どもたちは入浴中です。先ほどの続きです。

 興福寺五重塔が25円の理由は、廃仏毀釈運動 の被害に遭ったのです。

 興福寺のホームページではどう語っているのでしょうか。
   引用元 http://www.kohfukuji.com/about/history/04.html

(太政官布告によって)興福寺は所領を失い、最終的には堂塔の敷地のみが残されるという惨状となり、加えて宗名・寺号も名のれず、まさに廃寺同様の様相を呈した。 神仏分離の施策は廃仏毀釈につながり、寺の破壊や撤去が押し進められた。 興福寺では築地塀・堂宇・庫蔵等の解体撤去、諸坊の退転が相次いだが、… 

 もっと悲惨な例もあります。

 天理市にあった内山永久寺は、法隆寺に次ぐ社格の大伽藍でした。

 上写真は、大和名所図會です。
画像出典 http://shibayan1954.blog101.fc2.com/?tag=%E5%86%85%E5%B1%B1%E6%B0%B8%E4%B9%85%E5%AF%BA
  ※ このサイトは、内山永久寺についてとても詳しく載っています。おすすめ!

 それが、今は跡形もありません。
 航空写真で見ると、池の形が同じであることが分かります。
 現在は、畑、ビニルハウスになっており、建物は破棄尽くされました。

 現場は、天理大学図書館から、東へ600mほど歩いていったところにあります。

 
 天皇の神格化のために、神道を重視したことは分かります。
 それでも、数百年から千年以上も前の仏像や教典などを破壊する理由にはなりません。 
 まさにイスラム国やターリバーンと同じです。

 価値が分からなかったのです。
 いえ、西洋文明を知り、本来日本の文化が持っている価値を見失ってしまったのです。

 明治維新当時、日本の陶磁器が大人気でした。
 その陶磁器を包んだ紙、今なら新聞紙代わりの紙が、浮世絵(錦絵)でした。日本では、ゴミクズ同様だったのです。
 それを見た人が気に入り、一気に欧米で浮世絵ブームが始まったのです。
 
 日本国内の浮世絵(錦絵)が大量に国外に流出しました。
 現在でも、優美品は、海外の美術館に行かないと見ることができません。
 
欧米の文化に憧れ、日本文化の良さを完全に見失ったが故に、仏像を壊し、五重塔を売りに出し、浮世絵を包み紙に使ったのでした。

 これも日本人の(失敗の)歴史の1ページです。

 同じ失敗を繰り返してはなりません。

※ Wikipediaでは、興福寺は250円で売られたと書かれています。
 ここでは、『神々の明治維新 −神仏分離と廃仏毀釈−』安丸良夫(岩波新書)の25円説を採りました。

【校長日記】 興福寺五重塔が25円の理由は?

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 先ほどの解説編です。

 興福寺五重塔は、なぜ、それほど安く売りに出されたのでしょう? について考えましょう。
 
その前に、 あなたは仏教徒? と聞かれたら何と答えますか?
 多くの家庭は、檀家制度のもと、どこかの寺院に属しているのではないでしょうか。
 この制度は、江戸幕府の宗教統制政策から生まれたもので、特に葬式や法事の時には関係してきます。

 この「仏教」とは、歴史的に見れば、外来の宗教 です。
 日本には古来から「神道」があり、外来といわれれば当然なのですが、それも1500年近く前の話。ほとんど「外来」の意識はありませんね。
 そもそも、「神道」には仏教の「教典」のような具体的な教えがないために、両者は互いに補うように次第に緊密化してきました。

 よく「神様、仏様」と一緒にしていませんか?

 それを、 神仏習合、あるいは、 神仏混淆(しんぶつこんこう)というのです。

 しかし、歴史上では、「仏教」は外来であるが故に、何度も迫害されてきました。
 なかでも目立つのは、やはり江戸時代中期以降です。
 特に、水戸学といわれる考え方を指導した徳川光圀、いわゆる「水戸黄門」による廃仏は規模が大きく、領内の半分の寺が廃されたそうです。

 大政奉還後に成立した新政府は、太政官布告(「神仏分離令」)、「大教宣布」 を出しました。
 「神仏分離令」とは、それまで広く行われてきた神仏習合(神仏混淆)を禁止するために出したものです。
 「大教宣布」は、天皇に神格を与えたものです。さらに、神道を国教と定めて、日本を祭政一致の国家とする国家方針を示しました。

 これらにより、廃仏毀釈運動 、すなわち、仏を廃し(破壊)し、釈迦(釈尊)の教えを壊(毀)す運動が始まったのです。

 伊勢神宮のお膝元、伊勢では、慶光院など100ヶ所以上が廃寺となりました。
 明治維新を推進した薩摩藩でも徹底され、寺院1616寺が廃されたと記録に残っています。
 岐阜中津川の八百津、黒川、蛭川、苗木、坂下地区では、領内の寺院が破壊され、現在でも葬儀や結婚式は神道形式が一般的だそうです。
 現在でも影響を受けているのですね。

 長くなりました。続きます。

 画像は、興福寺HP http://www.kohfukuji.com/about/index.html より引用しました。
 
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