最新更新日:2024/09/20 | |
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ふじさとの歩みシリーズ45〜昭和50年度(1975)学校行事〜運動会を南館からみた写真がありました。児童と保護者で二千人以上はいるでしょうか。地域の一大行事として根付いています。 6年生の秋の遠足では、関ヶ原に出かけました。藤里小の6年生は当時、この関ヶ原か化石センターに出かけていました。 ふじさとの歩みシリーズ44〜昭和50年度(1975)学校保健活動の実際〜児童主体の保健委員会です。現在も行っている当番活動に加え、全児童に丈夫なからだをつくるために気をつけてほしいことを伝えました。1枚目の写真にあるように、「うがいをする」「マスクをかける」、次に「あつぎをしない」というところがこの学校のポイントになります。 藤里小学校では、昭和46年度より、「うすぎの子」として、冬の寒さに負けない児童を賞賛する取組をしていました。当時は、雪が降るほど寒いのに、ランニングシャツと短パンの児童もちらほら見られました。 保健学習では、正しい歯磨きの仕方や運動の大切さなどを計画的に授業で扱いました。 <昭和50年度の主な学校行事> 4月…入学式、始業式、開校記念小運動会 授業参観、PTA総会、学級懇談会 遠足、航空写真撮影、芝植え 5月…修学旅行(伊勢方面) 6月…プール開き 9月…運動会 10月…遠足(岐阜公園、今渡ダム、関ヶ原など) 学校保健活動優良校「特選」受賞 1月…就学時健診、父親学級 2月…学習発表会 (1・3・5年学芸会・2・4・6年展覧会) 3月…卒業生を送る会、卒業式、修了式 「考える人」(卒業記念品)除幕式 ふじさとの歩みシリーズ43〜昭和50年度(1975)学校保健活動〜一枚目の写真にあるのは、その活動をまとめた「学校保健活動状況資料」です。当時はパソコンやワープロが普及していない時代でしたので、文章やグラフなどは手書き、写真は直貼りでした。B5サイズで150ページにもなり、活動の厚さが分かります。 これにより、昭和50年10月に「学校保健活動優良校・特選」を受賞し、表彰を受けました。 <昭和50年度の児童数> 1年…8学級350人 2年…7学級295人 3年…5学級202人 4年…4学級172人 5年…5学級183人 6年…3学級123人 全校合計…32学級1325人 (5月1日現在) ふじさとの歩みシリーズ42〜昭和50年度(1975)水泳の様子〜水泳の授業とは関係ありませんが、1枚目右上写真にある、プールサイドの敷石を見て下さい。 現在は、この敷石ではなく、境目のない床となっています。敷石だと、浮き上がってつまづいたり、草がはえてきたりと不便があったようです。 この敷石ですが、現在でも藤里小学校のどこかで再利用されています。児童のみなさんが1日一度は目にするところですが…。 <昭和50年のヒット曲> ・昭和枯れすゝき (さくらと一郎) ・シクラメンのかほり (布施明) ・想い出まくら (小坂恭子) ・時の過ぎゆくままに (沢田研二) ・港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ (ダウンタウン・ブギウギバンド) ・ロマンス (岩崎宏美) ・22才の別れ (風) ふじさとの歩みシリーズ41〜平成28年度第48回卒業式後の歓送とその伝統〜1枚目は、本日(平成28年度第48回)の卒業式のものです。たいへんよい天気となりました。 2枚目は、昭和47年度(第4回)と昭和48年度(第5回)の卒業式後歓送の様子です。 3枚目は、昭和49年度(第6回)、帽子をかぶった児童の列がみられるのが、昭和52年度(第9回)の歓送です。 いつのときでも、卒業生のすがすがしい笑顔が見られますね。 ふじさとの歩みシリーズ40〜昭和50年度(1975)授業の様子・放課の様子〜土曜日にも3時間の授業があったので、今よりも授業時間がありました。図工や音楽は、週に2〜3時間あり、学級全員で創り上げる作品もありました。学習発表会では、学芸会や展覧会として、その成果を発表しました。 <昭和50年のヒット商品> ・ユニット住宅 ・モーラー ・黒ひげ危機一発 ・シーチキン ・きのこの山 ・ハイチュウ ・チップスター ふじさとの歩みシリーズ39〜昭和50年度(1975)たこあげ・給食・掃除〜児童の配膳の様子は現在とほとんど変わらないようです。一学級あたり40〜45人ですから、配膳だけでもたいへんな時間がかかりますし、できたてのものがすぐに配膳されるのでとても熱く、慎重に配っていました。 <昭和50年の流行語> ・アンタあの娘のなんなのさ ・オヨヨ ・乱塾 ふじさとの歩みシリーズ38〜昭和50年度(1975)運動場の芝植え〜1枚目の写真は遊具ですが、校舎に注目すると… 現在との違いが分かるでしょうか。 また、このころ、運動場の砂が風で舞い、近隣に飛んでいってしまうなどの理由から、運動場全面芝を植える作業が始まりました。この後、サーキットコースも整えられたり、保健活動の研究を進めたりと、心と体を鍛える取組に大きく役立つことになります。 先生と児童が一つ一つ手作業で進めている様子が写っています。植え付けや手入れの努力もあり、近隣の学校にはない、全面芝の運動場が誕生しました。 <昭和50年の主な出来事> ・山陽新幹線、博多まで開通。 ・ベトナム戦争終結。 ・エリザベス英女王夫妻来日。 ・日本女子登山隊が女性初のエベレスト登頂成功 ・沖縄国際海洋博覧会開催。 ・天皇・皇后両陛下、初の訪米。 ・広島カープが球団創設初のリーグ優勝。 ・第1回先進国首脳会議(サミット)、フランスで開催。 ふじさとの歩みシリーズ37〜昭和49年度(1974)卒業生を送る会・卒業式〜卒業式はあいにくの雨。写真は、現在のコンテナ室付近と校歌碑付近で恩師とあいさつをしているところです。 この年に卒業する児童の中には、初めて1年生から6年生まで藤里小で学んだ児童がいます。児童自身も学校も大きく成長した6年間でした。 <昭和49年度 おもな学校行事> 4月…入学式、始業式、開校記念小運動会 授業参観、PTA総会、学級懇談会 校庭に芝を植え付け開始、遠足 5月…修学旅行(伊勢方面) 7月…プール開き、芝植え付け作業(PTA) 9月…運動会 10月…遠足(岐阜公園、今渡ダム、関ヶ原など) 11月…国語科研究で博報賞受賞 12月…就学時健診 2月…学習発表会(1・3・5年学芸会・2・4・6年展覧会) 3月…卒業生を送る会、卒業式、修了式、避難袋実習、増築校舎完成 ふじさとの歩みシリーズ36〜昭和49年度(1974)学習発表会〜1枚目の写真は展覧会の様子です。習字や工作、絵画など、教室の机、壁を有効に活用して、展示されています。 2・3枚目の写真は、学芸会の様子です。楽器演奏や歌など、劇と組み合わせたものもあったようです。 <昭和49年度の児童数>(5月1日現在) 1年…8学級320人 2年…5学級217人 3年…4学級182人 4年…5学級191人 5年…3学級131人 6年…3学級111人 全校合計…28学級1152人 ふじさとの歩みシリーズ35〜昭和49年度(1974)運動会〜児童数が多くなり、応援の声も迫力のあるものになっていました。 <昭和49年のヒット曲> ・なみだの操(殿さまキングス) ・あなた(小坂明子) ・うそ(中条きよし) ・ふれあい(中村雅俊) ・恋のダイヤル6700(フィンガー5) ふじさとの歩みシリーズ34〜昭和49年度(1974)プール開き・校内水泳大会〜2・3枚目は、校内水泳大会の様子です。夏休み明けすぐに行われ、水泳シーズンの締めくくりとして大切な行事でした。 この頃は、低学年児童の数がとても多く、1・2年生だけで全校児童の約半数を占めていました。(1年生320人、2年生217人)したがって、小プールはいつも満員状態のようです。きちんと順番を決めて泳いだり、遊んでいました。 <昭和49年のヒット商品> ・ゲイラカイト ・ローラースルーGOGO ・モンチッチ ・幸福行き切符(国鉄) ・3ドア冷凍冷蔵庫 ・蛍光ラインマーカー ・紅茶きのこ ・小梅 ふじさとの歩みシリーズ33〜昭和49年度(1974)学校敷地・教室配置図〜北館では、現在の2階第2音楽室と3階の理科室はまだ造られていません。また、南館では、中央西階段のところまでの範囲です。 これをみると、空き教室はほとんどない状態で、毎年150人ペースでの増加となるので、校舎の増築が不可欠でした。3年後の昭和52年で現在の校舎の形になりました。また、後日紹介しますが、それでも教室が足りない年があったため、現在の飼育小屋付近に、プレハブ校舎も建設されました。 在校生のみなさん、今使っている教室はどこにあたるか、さがしてみてください。 <昭和49年の流行語> ・巨人軍は永久に不滅です ・千載一遇のチャンス ・青天の霹靂 ふじさとの歩みシリーズ32〜昭和49年度(1974)校旗贈呈式・小運動会・野外給食〜4月7日には、開校記念小運動会が例年通り行われています。綱引きの様子が分かります。 おもに卒業式で使われる校旗の贈呈式が行われました。大切な式の際に現在でも活用しています。 大雪が降ったときの様子も残っていました。 野外給食は、毎年行われているようです。昭和54年度まで、自校給食(藤里小で調理)していたため、調理する時間、量を調節し、ワゴン等に載せ、PTAの方々の協力を得て実施されていたようです。現在はコンテナ室となり、北部給食センターから運ばれてくる給食を振り分けていますが、開校から約10年は、給食室として、最大約2000人もの給食を作っていました。 <昭和49年の主な出来事> ・電力・石油消費規制 ・戦後初のマイナス成長 ・ユリ・ゲラーのTV出演、超能力ブーム ・フィリピンで発見の元日本兵小野田寛郎が帰国。 ・伊豆半島沖地震、死者・不明30人。 ・東京にセブン・イレブン一号店開店。 ・台風8号、死者・不明104人。 ・束京三菱重工ビル爆破事件。 ・アメダス運用開始 ・佐藤栄作前首相、ノーベル平和賞受賞決定。 ・巨人軍、長島茂雄引退 ・ハローキティ誕生 ・ガッツ石松がボクシング世界チャンピオンに ・田中首相退陣表明。三木武夫内閣成立。 ふじさとの歩みシリーズ31〜昭和48年度(1973)卒業生を送る会・卒業式〜送る会では、児童数の多い低学年から歌や呼びかけのプレゼントがあり、卒業生の顔は、緊張しつつもうれしそうです。 卒業式後の歓送行列の写真もありました。現在は通ることができないところを通っていますが、分かりますか? <昭和48年度の主な学校行事> 4月…入学式、始業式、開校記念小運動会 授業参観、PTA総会、学級懇談会 5月…遠足、修学旅行(伊勢方面) 6月…プール開き 9月…運動会 10月…遠足(養老公園、今渡ダム、関ヶ原など) 国語科研究発表大会(本発表) 12月…就学時健診 2月…学習発表会 (1・3・5年学芸会、2・4・6年展覧会) 3月…卒業生を送る会、卒業式、修了式 ふじさとの歩みシリーズ30〜昭和48年度(1973)学習発表会〜<昭和48年度の児童数>(5月1日現在) 1年…6学級225人 2年…5学級197人 3年…5学級191人 4年…4学級140人 5年…3学級122人 6年…2学級 78人 全校合計…25学級953人 ふじさとの歩みシリーズ29〜昭和48年度(1973)児童の学習活動〜下段は、PTAとの交流給食、マラソンの様子です。藤里小学校は昭和50年度には保健関係の研究、52年度からはサーキットトレーニング設備の整備など、保健体育に関する活動がさかんでした。後ほど紹介します。 二枚目の写真は、国語科研究大会の様子です。国語の授業改善に向けて全職員が取り組みました。また、児童の読解力などの育成のために、日々授業研究や打合せが行われました。 このように、藤里小学校は職員・児童が文武両道をめざし、さまざまな活動を行っていました。 <昭和48年のヒット商品> ・オセロゲーム ・ごきぶりホイホイ ・くれ竹筆ぺん ・シュガーカット ・麦チョコ ふじさとの歩みシリーズ28〜昭和48年度(1973)運動会〜<昭和48年のヒット曲> ・女のみち (宮史郎とぴんからトリオ) ・女のねがい (宮史郎とぴんからトリオ) ・学生街の喫茶店 (ガロ) ・喝采 (ちあきなおみ) ・危険なふたり (沢田研二) ・神田川 (かぐや姫) ・心の旅 (チューリップ) ふじさとの歩みシリーズ27〜昭和48年度(1973)交通安全教室・給食清掃の様子〜下の写真は、ある学級の給食・清掃の様子です。形式は現在とほぼ同じようです。食器やメニューはかなり変わりました。どれだけ違いが分かりますか? <昭和48年の流行語> ・ちょっとだけよ、あんたも好きね〜 ・うちのカミさんがね ・省エネ ・せまい日本、そんなにいそいでどこへ行く ふじさとの歩みシリーズ26〜昭和48年度(1973)入学式・小運動会・修学旅行〜入学式では、入学生が200人を超え、保護者と合わせると、体育館もいっぱいに感じられました。出席者をみると、和服姿の保護者と就学前の子がとても多いことが分かります。ちなみに、1年生は6学級で始まりました。 修学旅行は、例年通りの伊勢方面です。商店街の様子がなつかしさを醸し出しています。 <昭和48年のおもな出来事> ・祝日法改正(振り替え休日ができる) ・春闘史上初の交通ゼネスト ・江崎玲於奈がノーベル物理学賞受賞 ・オイルショックにより、トイレットペーパー買い占め騒動、物価急上昇 ・下関〜門司を結ぶ関門橋開通 ・熊本・大洋デパート火災 |
江南市立藤里小学校
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